”Who's Who in the World”の草稿のチェックの手紙がきたとき、自分のこと英語で何というか考えさせられたことがあった。答えは”epidemiologist”と返事したことについては前に書いた。
同じとき私の履歴からみて私のことを”educator”といってきたことについて今回書くことにする。
”educator”は”教師・教育者・教育家”である。
”educate”の意味は「1 〈人を〉教育する,訓育する;学校教育を授ける 2 〈人を〉(専門家として)養成する,訓練する 3 〈能力・趣味などを〉養う,鍛える,みがく」 とあったから、大学に勤務して定年まで講座を受け持っていたから”educator(教育者)”といわれるのは納得される。研究者としては”epidemiologist”としたのである。
ところが”educate”の語源をみると、「ラテン語として”外へ導く”であり、”能力を導き出す”」とあった。
そうなると”私は学生の能力を導きだしたか?”の反省になるのである。
医学の展開の歴史をみると、ヒポクラテス以来メスの使い方とか薬の使い方の”技術(テクネ)”を教えることが世の人々に受けいれられ、その技術を教える教育が行われてきたと思われる。
では「衛生学」は何を教え・教育してきたのか。衛生学に”テクネ”があるかどうかが問われることになる。
「教授になって講座を担当することになって」その講座の内容は先輩の講義を見よう見まねで、青天井でやってきた自分ではある。丸山博先生が大阪大学の教授になられたとき梶原三郎先生の ”衛生学のむずかしさ”を配布された記憶があるが、私も教授になったときどんな教育をするか考えたことがあった。
日本衛生学会が開催されるたびに「衛生学教育協議会」がもたれて種々議論したこともあった。弘前で総会をもったときにもそのまとめを報告したことがあった。問題は「定食かアラカルトか」であったと記憶している。日本医学教育学会が誕生したこともあって、どちらかというと「定食を」という考え方が医学教育に一般化したと思われる。国家試験が行われることになって、その合格率が社会的に評価される世の中になった。
私の最終講義が開催されたとき山口医学部長が「佐々木教授の時代には国家試験がありませんでした。これで弘前大学医学部では国家試験を受けなかった教授は最後です!」と挨拶された記憶がある。
「私の名前は”ささきなおすけ”です」
「皆さんのように頭の良い人達は国家試験はそれなりに勉強すれば必ず通るでしょう」
「私は現在考え・研究を行っていることを中心に喋らしてもらいます」
といつも講義のはじめに喋った記憶がある。
私の講義では一定の”テクネ”は講義しなかった。医学展開の歴史をふりかえり、その”テクネ”がどのようにつくられてきたかはのべたつもりであり、いつも今後どのように展開されるか、それを背負ってゆくのは諸君であると喋った。
卒業生はよく国家試験に通過して医師の資格を獲得してくれたものだと思う。
”教育”という日本語にはどんな意味があり、どのように意識されているかを思うことがある。子供を育てるときにも絶えず考えていた。
「義塾」の中で育てられた自分ではあるが、教育のキ−ワ−ドに「教育の力は唯人の天賦を発達せしむるのみ」とあり、また「先ず獣心を成して後人心を養え」ともある。
氏(うじ)より=育(そだ)ち[=育(そだ)て柄(がら)]とある。( 家柄、身分のよさよりも、環境、教育などのほうが、人間をつくりあげるのにはたいせつであるということ)
いっぽう「栴檀(せんだん)は二葉(ふたば)より香(かんば・こうば)し」ともある。(白檀(びゃくだん)は発芽の頃から早くも香気を放つように、英雄・俊才など大成する人は幼時から人並みはずれて優れたところがあることのたとえ)
夜まくらもとのラジオを聞いていたら、”育”には”そだてる”という意味と”そだつ”という意味があるといっていた。他動詞と自動詞である。結局は自分が育つことではないかと。
”学”が”マネル”から始まるという解説もあり、日本で”卒業”は”一定の事業を完成し、所定の学業過程を学び終えること”とあるのに、アメリカでは”commencement"で”これから始まる”という意味があるという。
”educator”と云われる自分を反省しながらこの小文を書いた。(20040210)