私はエピデミオロジスト

 

 いつかこんな題で書いて置きたいと思っていた。

 エピデミオロジスト「epidemiologist」、日本語では「疫学者」である。

 ことのおこりは「Who's Who in the World」の原稿のチェックの手紙がきたときから始まった。

 「Congratulations! 」という手紙であった。

 出版元はイギリスかアメリカか、これをビジネスにしている方がいるというわけか。

 イギリスはケンブリッジの「International Biographic Center」とあり、引き続いて「2000 outstanding people of the 20th century」をという話が来た。メタルとか賞状を注文しないかという手紙がきた。人の名誉欲をくすぐるような話であった。掲載料はとらないとあったのでokした。本当に印刷になるのかどうか分らなかったので証拠の本一冊を何ポンドかで注文した。すぐアメリカからも手紙がきた。Marquis’Who's Whoであった。コンピュ−タ−につかまったのであろう。日本紳士録、正式には興信デ−タ株式会社から明治36年創刊の人事興信録というのがあって、教授になりたての時から現在まで続いているが、これの国際版というものであろう。

 私に何故?ということはわからない。

 想像では「国際的なかかわりについて」に書いたように、私が「member」である「World Heart Federation」に属ずる「Council on Epidemiology and Prevention」の「Emeritus member」になったせいか。「名誉、名誉、名誉」ではあるが。

 ところが自分のことを英語で「何」と表現するかを考えさせられることになった。

 先方からは私の教育者としての履歴からみて「educater」といってきた。これは私の履歴から云えば当然である。

 医師免許状をもっているが、実際の医療は行わなかったから、「医師」(physian)ではない。

 教育とは別の研究の学者としての歩みは何と表現したら良いのであろうか。

 学者・科学者・自然科学者・医学者では範囲が大きすぎる。

 生理学者「physiologist」病理学者「pathologist」、二年つづけてノ−ベル賞をもらった方などは化学者「chemist」であると思う。では自分は何か。

 「・・ist」という「ist」は辞書によると、「・・する人」「・・に巧みな人」「・・家」「・・に関係した人」「・・主義者」とあった。となると私のライフワ−クは「疫学的研究方法」によって「脳卒中ないし高血圧の予防」を目標に研究を展開してきたので、「epidemiologist」というのが、一番適当と考えた。

 「epideiologist」「エピデミオロジスト」といっても、まだそれほど一般的な言葉ではない。

 わが国でいわれていた「疾」と「病」を合わせての「疾病」とは別に「疫」があった。 伝染病などがわかってきた時点で「はやりやまい」という意味で「疫」が用いられていた。「epidemio」と「logos」がむすびついて「人々のうえにおおいかぶさるもの」の「学問」としての「epidemiology」が輸入された時点で日本語の「疫学」を符号し、同義語としてとらえた。

 だから一般的には伝染病を研究する人としてとらえられていると思う。

 それに対してわれわれが「近代的疫学」と考えているものは「コレラ菌」がみつかる30年も前に「コレラ」という病気が「空気」ではなく「水系」でうつる病気であることを見抜き、対策を立てたロンドンでのジョン・スノ−の業績によると考えているのであるが。

 だからわが国でも「疫学者」といわれている方々は、そのテ−マは、非伝染病の「自殺」「がん」「心臓病」「脳卒中」のほか「健康」までも、その研究対象として選んでいるのが実情である。

 私の「疫学事始」でふれたように、あまり深く考えた訳ではなかったが、自分の行った研究を「疫学的研究」と書くようになった。

 ヨ−ロッパでは1954年Internaional Epidemiological Association(IEA)が誕生している。私が弘前へ赴任した昭和29年である。「疫学」が国際的にいわれるような時代であったと思う。学会もやっており、私も1981年エジンバラで第9回の会がもたれたとき出題し出席したこともあった。

 日本でも日本疫学会を誕生させようと世話人会の案内が来たのは平成2年(1990年)9月であるが、その時私は退官したあとであったが、私には学会の顧問という話であった。そしてIEAの Regional Scientific Meeting が青木国雄先生らの努力で名古屋で1991年に開かれた。 日本疫学会は2002年1月には第12回を迎える。

  私自身は、自分の専門領域と関係があり、また1965年前文部省の在外研究員として渡米した際、客員教授の席があたえられたミネソタ大学の生理衛生研究室の主任であるA.keys博士がChairmanをやっている”Council on Epidemiology and Prevention”が前年ニュ−デリ−で世界心臓会議がもたれたとき誕生したとのことであった。

 その誕生の主旨は、人類をおびやかす循環器系の疾患は、すでにその病気になやんでいる人を治すことだけでは本質的にはすくわれない、予防を可能にするために発生要因に探求にとりくまなければならない、と語られている。

  そこで1970年ロンドンで開催された第6回世界心臓会議の中で高血圧の成因の円卓会議をもつようになり、その中で私に日本の実情を話すように招聘を受けた話は前に書いた。またAMA(American Medical Association)の中にEpidemiologyの会があり、年次学会をもっていた。

 私はアメリカへの在外研究の場所をミネソタにおいた関係でごく自然にCouncil of Epidemiology and Prevention のメンバ−になった。そして今Emeritus Member である。

 この欧米の両者がどのように関わりあっているかは詳しくは知らないが、わが国で日本疫学会が誕生するときに、国際的なつながりをどのように考えるかが問題だと発言したことが記憶にある。

弘前市医師会報,37巻2号、282,73−74,平成14.4.15.

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