「日替わりランチ」のように、国内外でニュ−スはつきない。
「イラン戦闘開始一周年の反省」・・・この6月末までにスケジュ−ル通りすすむのであろうか?
「3.11 スペインでテロ」・・・テロ・テロ・テロとまさに”new war”の時代・・・
「台湾陳総統狙撃される!」・・・黒幕はだれ? 結果は明日あきらかになる。
「丸山単独首位!」・・・
「”バカの壁”が”バカ売れ”している」・・・この本の題名は出版社側で考えたものだと著者本人がいっていた・・・
「小泉首相が国会で”将軍様!”といったとか」・・・小泉さんも人の子か・・・
「サリン早や9年!」・・・後輩の医者はどうしているかしら・・・
「Qちゃん落選 ”なお”は”尚”でなく”直”に」・・・
「長嶋監督の病状は?」・・・
「韓国の鳥インフルエンザと99%一致した」・・・
「BS再放映”おしん”おわり近く」・・・
どれ一つとってもHPにのせることの話題ではあるが、今日の新聞の見出しに「文春出版禁止は妥当!」と関係のある「ペン」のことを書いておこうと思う。
「ペンクラブ」というのがある話を初めて聞いたとき、英語のはじめに出てくる「ジス イズ ア ペン」(This is a pen)の「ペン」を連想し、慶應義塾の徽章の「ペン」が頭に浮かんだ。
そのことは後にのべるとして、国際的なペンクラブ・日本ペンクラブ、また青森にもペンクラブがあるようだが、この場合の「ペン」とは別の意味があるのだと説明されていた。
「詩」(poem)・「エッセイ」(essay)・「小説」(novel)の頭文字をとった名前であると。
クラブ発足の歴史を勉強したわけではないが、”ああそうなのか”と思った記憶である。
「poem・essay・novel」もそれぞれ歴史があり、辞書をみると「poem:つくられたもの」「essay:そとにこころみる」「novel:新しい話」でラテン語由来とあった。
詩もエッセイも小説も、詩人・エッセイシスト・小説家として日本語として通用し、それぞれ職業として肩書きをつける方もいる。
”言論・出版の自由”はこれを云うのであろう。そのために「クラブ」ができたのではないか。
「精神的な拉致」また「文明論」と関連のある問題との意識である。
一方「ペン」は「人を傷つけ、殺すこと」もあるのではないかとの認識がある。
「プライバシイの保護は極めて重要な権利」ともいわれる。
歴史的にみて「人権」が尊重されるようになってきたが、初めて「プライバシイ」という言葉にふれたのは、衛生学の講義を受け持つようになった昭和30年の頃であった。
「健康住宅の原則」についてのアメリカの資料の中に「プライバシイの尊重」というのがあって、さて何と説明したら良いか考えているうちに”裁判”で話題になり日本語として世間に定着してきたようである。今回の東京地裁の判決文にお中でも「プライバシイ」とあったと報道されていた。
”private””privacy”の語源もラテン語で「公の生活から離れた」とか「奪う」とあったが、”一枚一枚はだかになる”とか昔読んだ記憶がある。
なぜ出版社側が今回のような記事を報道する気持ちになったのであろうか。
翌日どの新聞にもとりあげられていた問題であり、出版界・言論界の意見が目にふれてはいるが、個々人の意見は目にふれないのが現実である。
出版社側に”おごり”があったのではないかというのが個人的な感想である。(20040320)
「ペンの徽章と三色旗」についての記事があったので書きうつしておく。
「ペンの徽章については幸い考案者がわかっている。明治十八年に、高田源治郎、小田久太郎、柳荘太郎ら八名の生徒らが大枚六円を投じて服と外套を作り、着用して街を歩いたら、シャムの留学生と間違えられたので徽章を作ろうと、上級生藤田一松の示唆で教科書のクワッケンボスの文章論に「ペンは剣より強し」とあるのを書生のしるしにはちょうどいいと帽子につけた。たちまち生徒の間に広まり、塾当局も塾章として使ってきたのだが、文書として正式に発表したのは、五十年近くたった昭和十五年である。三色旗のほうはいわれをたどるとおかしい。運動会などに使う紅白の幔幕の白い部分が汚れやすいというので時の鎌田栄吉塾長が白を浅黄に染めさせたが、校旗もそれにペン章をつけたものにしたという。明治三十一年のことだと鎌田塾長はいわれたが、もすこし前のことらしいという説もある。とにかく「三田に輝く三色旗」も倹約から始まったようだ」(太田臨一郎:おおた・りんいちろう:元慶應義塾図書館勤務;昭3経卒:別冊太陽「慶應義塾百人」平凡社、昭55.3、42頁)