「再びたばこ問題について」の中で教育の問題にふれ、その際今話題の「拉致」をうけて”精神的な拉致”と書いたことについて何故こんな表現になったのかについて書いておこうと思う。
以前読んだ本の中にあった次ぎの言葉が忘れられないのである。
「わたしは、医学など少しも大切なことではない。およそ愚弱な国民は、たとえ体がいかに健康であり、いかに丈夫であっても、ただ、まったく無意味な見せしめの材料とその見物人にしかならない。病死する者が多いということは必ずしも不幸とは限らない、と考えるようになった。だから、われわれが先ずしなければならないことは、彼らの精神を改造するのによいものとしては、わたしはその頃、当然文芸を推さなければならぬと考えていた。そこで文芸運動を提唱しようと思った」と。肉体より精神を重んずる考え方とよみとれた。
そう思ったのはペンネ−ム魯迅(ろじん)(1881-1936)である。
その頃とは彼が「翻訳された歴史書によって、日本の維新(明治維新)がほとんど西洋医学に端を発しているという事実を知って・・・日本のある田舎町の医学専門学校(仙台医学専門学校)で勉学しいた時」のことである。
何故彼が「医学から文学への転進」を考えるようになったかのエピソ−ドは、回想記「藤野先生」にくわしく、また「吶喊」の「自序」に書かれていることからも読みとれた。
藤野先生とは解剖学の先生のことであり、微生物の講義のとき日露戦争のフイルム上映がされ、そのときの学生の拍手と喝采の中に登場する中国人の振る舞いに魯迅は中国人の精神を改造しなければとの特別の印象をもったことが書かれていた。
その魯迅について毛沢東が「中国文化革命の主将であり、偉大な革命家であった。魯迅の骨はもっともかたい。彼にはいささかの卑屈も媚態もない。それは植民地・半植民地の人民にとってもっとも貴重な性格である」と述べていることも記憶にある記述である。
世界の革命家といわれる人の前歴に医学があることもよくみられることである。
慶應義塾を創設された福沢諭吉が「独立が目的なり」とのべた気概と共通するものを感じる。
大分前のことであるが、野辺地で長寿をまっとうされた鈴木逸太先生が仙台で魯迅とご一緒だったとか 学校保健でお目にかかった時にお聞きした記憶がある。
また中国の江主席が来日されたとき仙台まで足を延ばし、勉学していた魯迅を偲んだという新聞記事も記憶にある出来事である。
文学が人の精神を改造するということはどういうことであろうか。
次ぎに記憶にある出来事といえば、最近のことであるがオリンピクの北京開催が決まったあとのテレビで、「北京開催のム−ド造りを請け負ったアメリカの会社があった」という放映である。
請負の金額がどれほどであったかは分からなかったが、ム−ド造り請け負いの会社があるのだとの認識であった。
オリンピク開催を決定する委員会の委員を如何に買収するかという不正と云われる報道が、長野オリンピックからソルトレイクにかけて話題になったことは記憶に新しいが、ム−ド造り請け負いが「ビジネス」として成立することの意外性とそんなこともあろうかなという思いが重なった記憶である。
アメリカの議会における「ロビ−活動」といわれるものの正体は分からないが、そんなことと重なる放映であった。
それに追い打ちを重ねるような新聞記事があった。
それは「正義を訪ねて」という立野純一氏の「正しい戦争はいかにして作られるのか、それを演出する人々がいるという」「真実より印象を重要視」という記事(朝日2002.8.13.)であった。ちょうど私としては「シナリオ」「IT革命のこと」を書いたあとであった。
その記事の中で特に印象的であったことは、各地で親米政権作りに暗躍した中央情報局(CIA)の元ベテラン工作員が「重要なのは真実かどうかじゃない。それを見る大衆の記憶に何が残るかだ」と言ったという記事であった。
そしてアメリカでの予算がそのために多くつかわれるようになった記事もあった。
アフガニスタン進駐後の放映・9.11事件のあとのもろもろの動きと意見を新聞・テレビで見る目が変わった。
ナチス政権下「嘘も百回繰り返せば 真実になる」と言ったといわれるゲッペルルス宣伝相の言葉と重なる記事であった。
自分がやってきた研究が社会へどのように伝わったかについて、記録”新聞は何を伝えたか”をまとめていたときであったので、よけいその記事に印象が強かったのかも知れないと思う。
イギリスでのセミナ−の経験を書いた記事(船曳建夫)に、論文を発表することは、「read a paper」といって書いた論文を読むことだとあった。文字・書いたものを大事にする思想があるのだと読んだ。
日本語として「読みことば」と「書きことば」の相違を論じた文があった記憶があるが、日本人の表現のあいまいさ、よく言えばおくゆかしさ、があると思う。
そしてそれが次ぎに「音」によって表現されると、また事情は複雑になる。
「役者」がその役を演じるのはすぐわかるとしても、そのほかに「声優」があり「声」「朗読」如何によって印象は全く異なってくる。「CM」などはすべて「印象」を大事にするのではないか。
日本の印刷術も世界的レベルになって、料理の写真など「見ただけでおいしそう」な写真であるが、写真のプロは、実物を写すのではなく、そこに「術」があるのであろう。「tea」はそのものを写すのではなく別のものを写すのだと読んだことがある。
未開社会においては魔力・魔術を行うものは呪(じゅ・のろい・まじない)術(magic)(超自然的存在や神秘的な勢力の助けをかりて種々の現象をおこさせる)また呪医(medicine)という認識があるという。
先日あるマジッシャンの話を聞いていたら、「魔術」には「必ず種がある」と。だが「私は誰にもわからない仕掛けを考えている・・・ス−パ−マジックだ」といっていた。
そのマジックも最近は「イル−ジイヨン」(illusion)といって、訳せば「錯覚」で、これなら魔力でもなく自分の錯覚だとはっきりするが、その「錯覚」の種・仕掛けが分らないから、お金をはらってでも魔術を楽しむ人が多いのだろうけれど、世の中にはその種・仕掛けをたえず考え続ける人もいるのである。
自分が科学者として未知なことをいつまでも解らしたい、その楽しみを追い求める人に分類されるのかも知れないと考えることもある。そんな人は嫌らしい人との酷評も身近にあるが。
今はやりの「タイタニック」の映画はまだみていない。見る気がしないのである。何故かといえばその映画の予告編で、今流行のCG(コンピュ−タ・グラフィックス)で、沈没する時の人の一人一人を、それも日本の若い技術者が、書いているということであった。それを知ったとき、見た目で美しく、スト−リ−は楽しいかもしれないが、見る気がしなくなったのである。
私の疫学研究の成果をNHK-TVが紹介したとき、分かりやすくCGで示したとき、これは私の研究にはかかわりのない話と書いたのも、「だが、何となくわかる話」と書いたのもこのへんの事情であることも書いておこう。
「精神的な拉致」と書いたのは、そのような意味で、「ら」は「羅」で網にかけてトリをとらまえるという意味があるとあったが、肉体的にむりやりに「ち」「致」にいたる言葉であるが、精神的に「むりやり」とはいわないし、本人は分らないにしても、結果的には、その人の行動、それは投票行動であろうと、お買い物行動であろうと、私の選んだ人であろうと、その人の行動に結びつて、世の中が動いてゆくものではないか・・・・。
それにしてもアフガニスタンの「神学校」で、大きくなって兵士になって「ジハ−ド」(聖戦)で戦うのだと目を輝かしていた子ども達の放映は極めて印象的であった。
「テロ」(terrorism)と「ゲリラ」(gurrilla)をどのように使いわけるかが話題になったことがあったが、最近はもっぱら「テロ」である。最近よくニュ−スにでるようになった「自爆テロ」はどう考えたらよいのであろうか。「爆弾3勇士」の像、「カミカゼ特攻隊」が記憶にある。学生時代「爆弾をかけて・・」といった会話をした記憶もある。人ごとではない。
「鬼畜米英」のアメリカと仲良くしはじめて60年近くたった。中国と仲良くし始めて30年たった。米ロ間での第三次大戦が回避され、9.11以後急に米ロは仲良くなり、共に「new war」に向かっている。
そんな時「自爆テロ」はどう考えたらよいのであろうか。個人的なうらみなら代議士や教授も殺される世の中であるが、これはいつの世の中でもあとはたたないと思われる。
昔ロ−マで政敵を殺すために「鼻薬」をかがせて、それは麦につくカビの一種麦角から分離された”精神異常発現物質”(LSDにもつながる?)をかがせたというのを読んだことがあるのだが、精神医学の最先端の研究につながる話題ではないかと思うことがある。
「子供はいつから大人になるのか」は分からないが、子ども達を精神的にその氣にさせてしまうとしたら、そのもと、それを言い出した人こそ問題ではないかと思うことがある。
「自爆テロ」の行動を起こした人の経歴に肉親が殺されたとかひどい目にあったとかいわれると、その個人としては死ぬまで記憶に残ることであろう。それはそれなりに同情の念をもつ、「シンパ」とも言われた言葉もあったが。
キリストも仏陀も当のご本人は何も言わなかったといわれているが、立派にキリスト教も仏教も、その教えを受けた弟子共が記録に残した文書によって後の世に伝えられ、色々な解釈・宗派を生んだかに読みとれる。
「精神的な拉致」も考慮を要する問題だと思うのだが。