「FIFA」について思うこと(26)

 

 「FIFA」で検索すると、「FIFA.com」としてフランス語で「F・・・」の公式Webサイトがキャチされる。英語では「Federation of International Football Association」とある。

 辞書をみると「Association」とは「共通の目的で組織された団体・・・」とあるから、国際的な団体の連合であるようである。その成立のいきさつ・ 歴史があるのであろうが、詳しいことは何も知らず、ドイツから「サムライ・ブル−」の人達が帰国したTVをみてのひとりごとを書いているに過ぎない。

 今「サッカ−」も一寸前まで「蹴球」(しゅうきゅう)といっていた記憶である。「football」を邦訳した言葉であろう。慶應義塾が明治25年(1892年)に体育会を創設した中にはないが、今は「蹴球部」がある。

  幼稚舎という小学校に入ったころ、「綱町グランド」で「ボ−ル」を蹴って試合をした記憶がある。ボ−ルは皮製で、中にゴムの袋があり、それにポンプで空気をいれ、中に押し込めた記憶である。今は日本製のものが使われているとか。優勝戦では「金色」のを用いるとか。

 その当時の記憶から、現代のサッカ−を見ていると、どうも分からない事がある。規則・ル−ルが色々変わった歴史があるのであろう。

 一番分からない「オフ・サイド」である。「待ち伏せを禁じる」とか。

 「ド−ハの悲劇」で話題になった「ロス・タイム」もなかったと思う。

 審判員も資格があり、それはそれなりに決めているようだが、日本人も一人認められたとか。審判員が用いるストップ・ウオッチも日本製が推薦されたとか。

 イギリスからの影響であろうが、慶應でも「ラグビ−」は早くはいって、「格好いい選手」は子ども達のあこがれであった。なぜボ−ルの格好が違うのか分からなかった。「野球」ははやかった。

 私が中学から大学への頃であったか、今いう「アメフト」が入ってきた。「American football」である。アメリカはアメリカなりに考えたのであろうが、同じ「football」でも規則も全くわからず、肩あてとか、ただ玉を蹴って遊ぶのは違って「金」がかかりそうで、あまりはやらにうちに「戦時色」はつよくなり、アメリカからの「3S」(スポ−ツ・SEX・スクリ−ン)は青年を毒するのだといわれれるようになった記憶がある。

 私がアメリカでの在外研究の場所は、かの有名な「Gate Number 27」であった。ミネソタ大学の「フットボ−ル」の「スタヂウム」の中にキ−ス先生の研究室があった話は前に書いたが、シ−ズンがはじまると、「幕」を周囲にはって、「練習の風景」を見られないようにしていた。「作戦の秘密」を盗まれないようにとか聞いた記憶がある。

 「ロボットが走った!」のは最近驚いたことの一つだが、「ロボ・カップ」に日本のチ−ムが優勝したとか。

  スポ−ツと政治は別だとは云いながら、サッミトでも話題になることだろう。

 世界を知り、4年後へむけてが話題になっているが、「日本サッカ−協会」のK代表が「オシム!」とか口走ったことが話題である。(20060625)

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