「5分前の精神」について

 

 私が海軍にいたとき教えられた「5分前の精神」について書いておこうと思う。

 昭和18年9月慶應義塾大学医学部を卒業 「学窓から軍隊へ」と送られた時の話は前に書いた

 海軍軍医見習尉官、軍医中尉、軍医大尉(海軍では”タイイ”ではなく”ダイイ”と言われた。だが敗戦のあと一様に昇級した”ボッタム”大尉ではない)と足かけ3年「MMKの時代」を送った。

 佐世保の”レス”で良くうたわれた歌に

 「腰の短剣すがりつき、つれてゆかんせソロモンへ」「つれてゆくのはやすけれど 女は乗せないいくさ船」「女乗せない船ならば るりの黒髪断ち切って つれてゆかんせソロモンへ」「中佐・少佐はジジくさい といって大尉(ダイイ)にや妻がある 女なかせの中尉どの」があった。

が、20年8月15日は私にとっては敗戦の日「surrender」(サレンダ−)であった。

 多くの友を得た一方、多くの友を失ったことは忘れられない。

 医学部卒業の1年前に海軍軍医委託学生になっていたので、「ホンチャン」であった。予備役に編入されたあと、引揚援護局員としての勤務があったが、それが終わったあとこんご如何に生きるべきか、人生の大きな岐路にあったことは事実だ。

 その海軍での体験の中で、教えられ、その後の人生に役だったことを一つ挙げるとすれば「5分前の精神」である。

 「5分前の精神」は 「躾要綱」(昭和18年9月 海軍見習尉官教育部)には書かれていなかった。

 「爾来国軍ノ*(木偏に貞)幹トシテ護国ノ重責ニ任ズベキ見習尉官ハ自己ノ本務遂行ニ邁進スルト共ニ武人ノ嗜トシテ善良ナル躾ヲ養ヒ以テ高潔ナル風格ヲ保チ一般国民ノ儀表タル所ガナケレバナラナイ」「躾ハ形カラ精神ニ入ルモノデアルカラ・・・」とあり、事細かく書かれている要綱の中には記載がなかった。 海軍での毎日の生活の行動の中で教えられ身に付いたものであろう。

  海軍の言葉の中に「こうはつこうき」というのがあった。

 「半舷(はんげん)上陸」で外出したあと、母艦に帰るとき決められた波止場からランチが出る時間に遅れるとその人は「昇級」しないという決まりがあった。実際に某先輩がいつまでも大尉で昇級しないのは「こうはつこうき」のためだと聞かされた。

 要は決められた時間に遅れるということは一例たりとも許さないという厳しい決まりであった。

 だからそれを具体化するためには決められた時間の5分前にはすべて準備完了というわけであった。毎朝起床後の点検から始まって決められた行事にはすべて5分前に集合した記憶がある。その中できたえられた。時間ぴったりにゆけは良さそうではあるが、それを5分前には完了しておけということであった。

  言葉だけで漢字はどうであったかは記憶がない。辞書にある「後発」(後から出発する)「綱紀」(国を治める上でおおもとになる規律)かどうかと思っていたが、海上自衛隊の用語のペ−ジを検索したら「後発航期(こうはつこうき)」とあり、「分かりやすく言えば、遅刻して出航に間に合わなかったこと」「懲戒・隊内用語でこれは重罪、停職もありうる」とあった。旧海軍の言葉が海上自衛隊に残っているようである。「江田島」のペ−ジにもあった。、海洋少年団の訓練でも初めに「良き伝統として団体行動に必要な事として」「5分前の精神」が教えられていることが分かった。「シ−マンシップ」の解説にも「海で生き残るための単なる精神論でない技術としての5分前の精神を」挙げているペ−ジもあった。  

 

 いつだったか弘前大学へきたあと、学生のコンパに時間通りの5分前に出席したら、「教授はもっとおそく出てくるものですよ」と学生からいわれたことがあった。いわゆる「”津軽時間”の慣行」が普通の時代であったのであろう。

 でもそのうち学生と教授との会合の時だったか、学生の発言の中で「一に佐々木 二に入野田 三四がなくて五は東野・・」と時間を守る教授として紹介されたことがあった。その時品川教授が「おれも入れろ・・」と追加発言したことが記憶にある。 

 昭和40年になって在外研究の機会がおとずれた時には、「5分前の精神」は役だったとの思いがある。

 アメリカでは「アポイントメント」の手紙には「**:00」と書いてくる人が多かった。多くの人々との面会・約束をはたしたが、一度もその時間に遅れたことはなかった。

 場所が不明のことも多かったが「事前にその場所を偵察して」から時間通りに再び訪問するといったことまで心掛けた。

 ミネソタ大学にいた時、冬の朝、まだあたりが暗い午前7時すぎ、教室へ急ぎ足に行く教授の姿が記憶にある。7時半から始まる授業に教室は学生でいっぱいであった。色とりどりの服装をして。また教授の講義は続いているのに次ぎの授業の始まる時間になると別の講義に行く学生が席を立ちどんどん出ていく姿も記憶にある。

1966年1月 ミネソタ大学にて

アメリカでの生存競争の激しさを思ったり、ふと弘前ではと思ったりした。

 もっとも当時の外国の話として、某国などは「時間・日付はおろか、約束の日は月が単位だ」などと聞いた記憶もあるが。

 「5分前の精神」は国際的・国内的を問わず、守られて良い習慣であると思う。

 月日時間は国際的に共通であり、インタ−ネットなど普及した今日では一瞬一瞬国際的に共通である実感のある世の中になった。

 小さいとき見た外国のマンガに「時間」という「カナズチ」に追われている生活を画いたのがあった記憶がある。

 幸いと言おうか今はもうそんな生活から解放された。 講義の時間に遅れる心配もない。せいぜい月1の津軽CCのGSLのスタ−ト時間と、たまに出る会合に日場所を再三確かめてから時間に遅れないように出かける心がけだけである。(20020801)

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