「アンケ−ト」について

 

 「アンケ−ト」についての記憶と経験を書くことにする。

 「アンケ−ト」の語源はフランス語であり、英語では「questionnaire」と辞書にあったが、日本語として通用している。

 調査・問い合わせの様式の一つで、事実・原因などの関する質問事項をきめて、大勢の人達に問い合わせ、その結果を集計し考察し結論を得るという方法であると理解されている。

 大勢の人を入り口にするので、「疫学」で用いられることが多いが、疫学的に厳密な方法論につきまとう問題にはここでは立ち入ることはしない。例えば一寸考えてみただけでも、アンケ−トの項目、用いる言葉・文字・書き方、配布対象、回収率、集計方法、誤差範囲など結果に影響することが考えられ、その結果を云々するのは容易(ようい)なことではないと思うからである。。

 しかし一般には「アンケ−ト」は容易(ようい)にまた極めて安易(あんい)に行われその結果を云々しているのが現状であると考える。

  平成元年のことだが、「”医師のがん告知”意見二分、賛成37%、反対40%と今朝の朝日新聞のトップに」と”がん告知”についてのアンケ−トの結果が報道されたことがあった。この記事についての感想(衛生の旅Part5)として「この手の世論調査の持つ意味について、どのような考えにもとづいて調査が行われたか疑問に思うのである。今朝の記事はこの時代にこんな質問がされ、その回答がこのようであったということだけであろう」と書いている。

  これらは現代に広く行われ、もっともらしく結果が云われていることについての反省を求めるものと思うのである。

 

 海軍時代に鹿児島方面へ赴任の同僚達と、同じ汽車にのってきた主計大尉に将校用料理屋”レス”に案内され、宴会がはじまったとき、お酌にきた女性達に聞いたのが「アンケ−ト」のはしりではなかったかの記憶がある。

 「どうしてこのような仕事をしているのか?」と聞いてみた。

 農村などからの身売りがいわれていたことが背景にあった。

 答えは半分は親・家のため、半分はこの仕事が面白く楽しくであった。

 

 弘前へきて東北地方住民の脳卒中ないし高血圧の予防についての研究、現代的にいえば疫学的研究を始めたが、方法論的には人口動態統計・血圧測定・Na/K測定などによる実証的研究が基本で、「アンケ−ト」も行って、種々資料は集めたが、その結果は実証的な結果との関係を検討したもので、「アンケ−ト」の結果だけで、論文を書いたものはほとんどなかった。

 「死亡統計の作り方考え方についての一つの試み」(佐々木直亮・武田壌寿:厚生の指標、9,昭37)に中学生を発端者として、両親、祖父母の生死について資料を求め、秋田・青森・岡山を比較し検討したことがあった。それなりに意味はあったと考えた。

 一番記憶にある研究としては「東北地方一農村における食品選択の年令差」(佐々木、他:弘前医学,27,1975)である。

 和食・洋食のほか、各種食品・料理の”すき・きらい”の選択についての「アンケ−ト」による回答を求めたことがあった。その結果と各人の血圧測定値・尿中Na/K測定値との関連を検討した研究であったが、有意な関連のあるものはほとんど認められなかった。しかし昔からある食品については年令差はなく、洋食、新しい食品は若い年齢層の方が老年層より選択し、”このむ”項目があることが認められたことであって、この結果は「コホ−ト分析」の必要性を考えさせるものであった。

 同様に「自覚症状と血圧水準」(佐々木、他:弘前医学、23,89,1971)では、従来高血圧症と診断された患者が訴える自覚症状の有無別にみた場合、血圧水準とは必ずしも関連があるとは考えられないという結果であった。この結果はかつて結核患者の自覚症状といわれていたのが、結核実態調査によって、必ずしも客観的な症状と一致せず、結核特有の症状ではなかったと同じ問題を、循環器疾患についても指摘されるものではないかと考察している報告である。

 

 ついでに「現代社会現象にふさわしいアンケ−ト」を付け加えることにする。

 結果は時代がかわれば変わるのでないか。「文明論」的に考察されるべきものと考える。

1)イラク戦争に大義があると思うか思わないか?

2)自衛隊派遣は憲法に違反していると思うか思わないか?

3)アメリカでブッシュ大統領は再選されると思うか思わないか?

 などなど(20040301)

弘前市医師会報,41巻3号,307,64−65,平成18.6.15

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