「他殺・自殺」についての記憶

 

いつかこんな題で書いておこうと思ったことがあった。

それは人間の死亡を考えたとき、その原因は「他殺」か「自殺」のどちらかに分けられるのではないかと考えたからであった。「その他」はないと。人間の生命表を勉強しているときだから数十年前のことである。

今日の話題として、イスラエルによるパレスチナの”ハマス”の創始者といわれている”ヤシン師”殺害のニュ−スが流れたので、前々からの「他殺・自殺」の記憶に火がついた。

「他殺」から記憶をたどることにする。

歴史的事項として、「カエサル」の「ブル−タスお前もか!」といった話がある。

「リンカ−ン」の暗殺事件がアメリカの歴史で語られている。

そして「J・F・ケネデイ」の事件はアメリカからの最初のTV放映のニュ−スであった。ダラスの現場を見たことと、ケネデイの墓の写真をスナップしたことと共に私の記憶に新しい。

ダラスにて(1965年)     ケネデイ−の墓(1965年)

「私には夢がある」といった「キング牧師」も暗殺された。「ジョンレノン」も殺された。

その風貌・思想とともに、塩世界の旅の中で勉強した「塩の行進」に出てくる インドの「ガンジ−」も暗殺された。

和平の道をあるいたイスラエルの「ラビン首相」も暗殺された。

そして今度の事件である。それも「パレスチナは旧約聖書に登場するペリシテ人の土地」にくりかえされている「先人の歴史」が関係してかに読める解説(毎日)があった。

日本でも明治維新前後多くの暗殺が行われた。

”ナオスケ”と同じ音の名前の「伊井大老」が雪の中に散った事件は小さいときからの記憶である。

学会に呼ばれて韓国へ行ったとき、日本の首相を暗殺した青年は建国の勇士としてたたえられていた。

小学校時代の記憶として義塾の先輩で首相であった「犬養毅」は「話せば分かる」といったのに「問答無用!」と殺されてしまった。”515事件である。三井の「団さん」も殺された。

ライオン首相の「浜口首相」も東京駅での事件のあと亡くなった。

中学校時代にあった”226事件”では多くの殺戮が行われた記憶がある。

大学生時代第二次世界戦争が始まった。真珠湾への攻撃はアメリカでは「9.11」と同様「テロ」ととらえられているようだ。真珠湾への特攻で戦死した9名は「軍神」として新聞紙上に掲載された。何故9名なのか?と聞いた子供がいたが、そんなことは聞くべきではないと云われたとか。

軍医であったので人を殺すことは無かったが、戦争で多くの友人を失った。われわれ昭和18年9月卒業のクラス108名中戦死18名であった。

何十万の一般国民が一瞬に死に迎えたこともあった。

戦後佐世保から篠山へ一寸帰宅するのに広島付近を通過したとき、汽車の窓からみた風景は一時間位の間何もなかった。長崎医大の図書館の玄関先に「永遠の出席者名簿」の記念レリ−フをみた記憶もある。沖縄の丘の慰霊碑の前で友人のことを思った。サトウキビの畑の下に・・・”ざわわ!”と作詞作曲した寺島さんが亡くなったニュ−スが流れた。

爆弾を抱えた三勇士の像も記憶にある。

「天にかわりて不義をうつ」とか「天誅」といった言葉があった。

大学の評議員をしていたとき、全国的に学園紛争に明け暮れていた。学生の中に爆弾をつくっていることもあった。また「うちげば」の殺し合いがあった記憶がある。

オオム事件が日本におこった。「ポア」という言葉があった。

「考え方の違う相手」を殺さなければならないのか。

「話し合い」「お互いの妥協」は可能ではないのか、と思う。

戦争中にまた「テロ」のいわゆる”new war”の中で、自らに意思によらない「死亡・他殺」があとをたたない。スペインでは「3.11」事件がおこった。

今回の「ヤシン殺害」事件についてのイスラエルへの非難案が国連安保理事会に提出されたがアメリカが拒否権を発動した。

「死刑」制度廃止の国があるという。

国の、人の意思によって決められた「法」で、他人の生命を断つということへの「反省?」によるものかとも思う。 

政治的な事件のほうが記憶に多いが、いわゆる殺人事件は国内外をとわず後をたたない。

交通事故などによる自分の意思によらない「死」も数限りなくある。

スパイクタイヤ云々について書いたことがあった。

タイヤの不良、ハブの設計ミスの報道がされている。

フランスで年間1万から8千あった交通事故死が、「飲んだら乗るな」などの取り締まり規則の対策実行によって2003年には1千人の命が救われたというニュ−ス報道がラジオを聞いていたらあった。交通事故には「他殺」も「自殺」もあろうが、「公衆衛生上」では重要な指摘であると思った。

「殉死」「ハラキリ」「ジラ−ド」「特攻」「自爆」は「suicide::みずからころす」と云われている。さらには「狂信:理性を失って信じこむ」という言葉で説明される場合もある。

年端もいかない子供が「爆弾」をはらに巻き付けている姿が放映されている。

「ジラ−ド」に目を輝かしていた子供達の映像の記憶もある。人ごとではないと書いたこともあった。

「自殺」の「原因」がよく追究されるが、人の心の内は分かりかねる。

衛生学の大先輩である「ペッテンコ−フェル」は自説を証明しようとコレラ菌を飲んだとき、戦場におもむく兵士のごとく遺言状を書いたといわれるが、最後に「自殺」されたと読んだ記憶がある。

敗戦後「自刃」した方々がおられた記憶がある。日本人の精神的構造を「BUSHIDO」で説明しようとした新渡戸稲造もいたが、「士農工商」の中の「士:さむらい」また「軍人に賜りたる勅諭」によった行動であったのかとも思う。

「自殺」の例はあまり記憶はない。川端康成、三島由紀夫氏など何人かの有名人の死が話題にはなったが、その「一例」ですまされる。

戦後あった「下山事件」は死体検証の範囲が東大で、この事件を主題にした小説もあったが、「他殺説」が有力で、社会現象は其の方向に動いたが、慶應の法医の中館久平先生は「自殺説」であった。先生の講義が津軽弁であったことと共にある記憶である。

「八甲田雪中行軍の遭難」は映画になり、今も語られる物語であるが、その遭難後の軍人の生存者の死亡に、科学者として問題を考えた松木明知君が、資料をもとにして考察した論文は最近の話題である。

最近といえばイギリス政府とBBCとの間で名前の出た博士の自殺、鳥インフルエンザにからんだ会長夫婦の自殺が報道された。

「自殺」に関する「疫学的研究」のいくつかの記憶もある。

川上理一先生の衛生統計の講義での、人間の集団の死亡曲線は、「天からの・・・」が積もった姿であるという「模型図」を示されたことが記憶にある。

その天からの吹き付けのたまりはまず乳児死亡であると。伝染病などの病原菌の濃度が濃いいところでは早く病気が起こり死亡がおこるという「前進現象」が示されていた記憶がある。それで食塩過剰摂取による高血圧状態発生の早期発現を考えたこともあった。最高120才標準偏差10才位の死亡曲線分布以外は「天寿」による死亡でないという理論であった記憶である。

現在云われるようになった「生活習慣病」の疫学的研究がすすみ、病気の自然史が次第に明らかになって将来の「予見」が出来るようになった。

「リスク・ファクタ−」さらには「ベネフィット・ファクタ−」としての、その外因・内因などの諸要因が分かってきたのに、その知識によらない生活をせず、保健活動の実践をしないことは、「自殺」行為ではないかと考えた。

また現在の科学的知識によらない、現在間違いと思われる情報を伝え、行動していることは、直接的な他殺でないにしても、慢性的な他殺ではないかと考えたのである。(20040328)

弘前市医師会報,299,59−61,平成17.2.15

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