「歳をとると 鈍(にぶ)くなるんだから!」とよく言われる。
五感すべてにあてはまることだと思うのだけれど、今日は「音・耳・言葉」のことについて頭に浮かんだことを書いておこうと思う。
私の場合、まだ聴覚の障害は歳のわりに少ない方だと思う。
TVの音が少し大きすぎるのではないかと言われることはあるけれど、補聴器の必要性は感じない。TVのスピ−カの音声だけを身近に聞けるように一寸工夫した。
今朝、玄関のベルが鳴る前に、家の前に車がきて、ドア−を締める音圧を感じたことは未だ、「鈍っていないのだ」と思った。
深夜放送のラジオを聞いていて思うことがある。
色々の音が耳に入ってくると、その中の「日本語」はよくわかる。それもアナウンサ−の声はやはり良くわかるが、日本各地の現地の言葉には、聞き取れないことが多い。同じ「日本語」ではあるに違いないけれど。
「言葉が世界中に何千もあるのだ!」ということに感じいったことを書いたことがあった。
自分の場合、知った「英語」が耳に入るとそれがすぐ分かることがある。「ドイツ語」の場合も昔ならった言葉であるとすぐ言葉として理解されるようである。習ったことのない「フランス語」はだめである。
でも単なる「音」そして「音楽の場合」には、知っているメロデイ以外全く「連想」がなく、ただ「音」だけそれも「快・不快」だけで、「理解」には至らない。
「音にあいたい」とか「昔のメロデイ」とか放送を聞いていると、その「思い」「連想」は人さまざまである。決して同じものではない。
「音」が「言葉」になったとき、それはそれぞれの地域で「ある共通の意味」になるものだと思う。またそれは時代とともに地域ごとに異なるものだと思う。ヘロドトスが他の国の人々の言葉は小鳥がさえずっているようだと書いていたことが記憶にある。
「科学」の場合には、世界共通な「定義」なり「意味」」をきめて、「展開」してゆくものだと考えるのであるが。
日本の場合、どんな言葉が世界に認められたかを思う。最近「つなみ」は国際的に言われるようになった。科学上の言葉はほとんどは「翻訳」である。その意味は何であるかを疑問に思うことがある。「血圧」の場合については前に書いた。
外交官の日本語コンテストで優勝したのはロシアの方だとニュ−スでいったいた。「うなずく」という言葉・動作がロシアにはなく、それを日本で経験してのテ−マの話であったという。
戦後60年、サハリンで終戦を迎え、行方不明であった岩手県の上野石之助さんが、ウクライナから帰国された。「イシノスキ−」という名前になっていたことも面白かったが、ロシア語しか口に出なかったことも印象的であった。「運命でした」また先祖の墓の前で、亡き母に「心配かけた」といったと伝えるTVも、また美しい老人の顔になっていることも心をうった出来事であった。「日本語」をすこしづつ話しはじめたと伝えられたが、まだ聞いていない。
昔久米の清ちゃんがアメリカへ渡った木下良順先生が脳卒中のあと達者だった英語がしゃべらなくなったといっていたことを思い出した。(20060426)