「ケツアツ・血圧」についての記憶から

 

 「ケツアツ」「血圧」「blood pressure:bp」「収縮期血圧」「systolic(sys.)bp」「max. bp」「拡張期血圧」「diastolic(dia.)bp」「min.bp」「最高血圧」「最低血圧」・・・と「血圧」に関する言葉は色々あり、それぞれ歴史的背景のある言葉と思われるが、わが国で数千万人いると云われる「高血圧者」にいわれる「高血圧」が一番使われている言葉ではないか。

 「血圧」についての古典については、「Ruskin,A.:Classics in Arterial Hypertension. C.C.Thomas Springfield,1956」に詳しいが、「医療今昔物語」学説の変遷:高血圧(臨床科学,32,240-246,1996)、「臨床高血圧の100年」(治療学31巻,別冊3号,40-41,1997)に「日本人と高血圧」(食塩と高血圧−研究の歴史を振り返る」を、また日本保険医学会で特別講演の機会が与えられたとき「日本人の高血圧−疫学の成果と展望」(会誌:79,59-92,1981)を書いたことがあった。

 私が疫学的研究を展開して考えた「血圧論」を弘前医学(14,331-349,昭38.;.12.4.1961.受付)に発表したとき、生理学の佐藤煕先生がその論文の中で「最高血圧」「最低血圧」という用語を用いているのをみてか、「血圧については”最大血圧””最小血圧”を用いているのだが・・・」と疑問を投げかけられたことが記憶にある。私の「血圧論」については、今まで殆ど批判されたことがなく時が経過しているが、あのときの佐藤先生の言葉はまだ耳に残っている。そのときは医学用語委員会が出来て論議され始めた頃であったが、私は「生理学ではそういわれるかもしれませんが・・・」と答えたことが記憶にある。その後の論文に「最高・最低血圧という場合には間接的非観血的に聴診法によってわれわれの取り決めた方法で測定・記録した血圧値・・」と書いた。

 アメリカのミネソタ大学に在外研究で滞在していた時、第1回の客観的血圧測定に関する会に出席する機会があった。日本人としては私一人であったので、その会の覚書を前に書いた。

 帰国後、日本循環器管理研究協議会での初仕事として、調査方法の一つとしての血圧測定法に関する委員会のまとめ役を引き受けたことがあった。集団的に血圧測定をするときの聴診法による方法の基準について検討したが、その方法は厚生省を通じて全国に行き渡ったと思っている。

 その後「自動血圧計に関する委員会」のまとめ役を引き受けたが、総会ごとにその会議の結果を報告をしたことが記録にある。「自動・・・」「電子・・・」とかいわれるようになったが、その方法の基本は「コロトコフ音」を如何に電子的にとらえるかにあった。

 一つの試みとしてわれわれの方法を「HBMS」として第10回世界心臓学会議へ報告した。イギリスからの臨床医だったか、「ヂジタル」ではなく人間の耳で診断するのは「アナログ」だとコメントがあった記憶がある。

 停年になり研究から遠ざかって20年時がたった。

 その間に関係の論文には目を通していたが、それ以上の追究の論文は目にはいらなかった。

 

 今度救急車に運ばれて入院して自分が「患者」になった。仮の診断名は「重症肺炎」であった。入院中良い機会であったので人間ドックのように各科を回り診断して戴いた。結果は「心臓の機能がすこし不全である」とのことであった。

 退院後「主治医」をきめるように云われたのでS先生にした。そして今色々と相談しながら「日本高血圧学会ご推奨の」服薬をしているのであるが・・・。

 久しぶりに自宅で血圧を測ってみようかと思った。取り出した器械はゴムが老化し、水銀もなくなっていた。

 自分が器械をととのえたらよいのであったが、以前の経験から器械はそれぞれ特徴があり、色々あるので「自分でととのえる」には「抵抗」があった。

 家内が「自宅で測れる血圧計」を買いにいってくれた。

 「うれすじはこれです」というのを買ってきた。O社の手首にカフをまくものであった。時々アメリカの映画に見るものであった。日本でもタレントさんの出る番組にもちらっとみた器械でった。

 原理は「オシロメトリック法」であった。自動加圧・自動表示で(最高・最低血圧値・脈拍数)が示されるものであった。ずいぶん便利になったと思った。

 丁度日本高血圧学会から「家庭血圧測定条件設定の指針」の小冊子が送られてきた。

 「1960年代には、いわゆるマイクロホン法が登場し電子血圧計の先駆けとなったが、マイクロホン法には、その器械的特性から高価になり、故障も多く・・・マイクロフォン法は本格的な普及には至らなかった」と書かれていた。

「指針1 家庭用血圧計は聴診法で裏付けを得たカフ・オシロメトリック法に基づく上腕カフ血圧計を用いる」とあった。

 「聴診法で裏付けられた!」という記載に、以前「自動血圧計検討委員会」で色々検討したことを思い出した。、

 「オシロメトリック法」というと「振動」を如何に把握するものと思われるが、どのようにこれを電子的に捉えたかを思った。 

 われわれが検討したのは「コロトコフ音」といわれていた「血管音」を如何に電子的に把握するかであった。血圧音を一つの生体情報と考えたのである。WHO関係の国際調査でわれわれの考案の方法を採用するかどうかという時に、ザンケッチらのおすみつきをもらわなければならなかった。

 この時医者の耳とITの技術者の攻め合いであると思った。

 その当時は血圧計を購入するのは医者であるので、その先生方の耳にあわせることを技術者は考えたと思った。いかようにもそれが技術的には可能であると思った。

 私としては全く技術的に考えなければならないと考えたのであるが、其の点は理解されないまま時がたった思いがある。

 そこへ「オシロメトリッ法」という器械が登場したのである。「聴診法にうらずけられた!!」とある。

 どのような方法で裏付けしたのであろうか。??

 「振動」のもとは、生体の中では、「心臓の拍動」であろう。だから「脈」を考え「聴診器」を考え、上腕を圧迫することによってコロトコフは血管音の発現・消失を認識したのであろう。われわれはその「コロトコフ音」の特徴を求めようとした。

 「振動」の場合は、上腕で圧迫すればそれ以下の末梢においては「脈」は人間の手にはふれなくなる。然し「振動」はその検知能力を技術的に高めればどんな「振動」でも検知できるはずである。となると今度の方法はどこかで手をうっているに違いないと思うのである。小冊子にはそのへんのいきさつがに「・・・これを基本アルゴリズム(計算の手順)として、こうした変異点(最大カフ振幅が平均血圧に一致する)に相当する血圧値をいかに聴診法でいうコロトコフ第1点と第5点に近づけるかが各製造者により努力され・・・」と書かれていた。

 指針3に精度確認が示されていた。われわれも一定の計画をたてて各種血圧計を比較検討したことがあった。実際の聴診法とに比較検討をしたのであったが、装置の技術的な精度でよいのではないかと思っていた。

 指針4には測定の条件が指示されていた。生体情報は一定である必要はない。どんな時にどんな値がでるか知る方が先ではないかと考えていた。家庭で測定する血圧値は医師が診断する参考資料とする考え方がうかがわれた。「血圧値」がまだ技術的に「解放」されていないという思いがある。

 脈拍数は「一分間の脈拍数」として表示されている。これは一分間の脈拍数にしばられているからではないか。入院中看護師が測りにきたとき、脈拍数も15秒あるいは20秒みてあとは計算して記録していた。脈拍は本来一拍ごとに情報がとれるから、プログラム次第でどのようにも計算・表示できるはずである。この点については東北産業衛生の地方会で喋ったことがあった。

 血圧測定の際「そんなやり方では高くでるよ!」とかいって、測りにくる看護師さんらを「からかった!」ことを思い出す。

 手首で測定する器械ではなく、上腕で測定する器械を推奨するとあったので、自分が被験者になって、両者の共にO社製品を購入して比較検討してみることにした。

 朝おきてすぐに、一時間おきに、夜就寝するまで、毎日、数ヶ月測定してみた・・・。

 表示される数値は手首と上腕とで、大方において相関はするが、それぞれ特徴があるように伺われた。器械内蔵の「プログラム」は「ブラックボックス」の中にあり、一般には知られていない。どんなものかと思いながら、、示される数値が何であるのかはわからない。然し表示される数値は絶対である。

 私のように「さめて物事を考える科学者!」なら一喜一憂しなくてすむが、一般の素人の方々はどう思っているだろう。

 「家庭用・・・」の指針であるので、医師の診療の場合には「自ら聴診器を用いて診断するものである・・」という前提であると思われるが、市販の自動血圧計を用いて、その示された数値を信用しているのではないか・・・。自分で聴診するより便利なので・・・。ほとんどの外来で、また集団測定で、市販の自動の器械によっているのではないかと思われる。それほど便利で、数値が示されるからである。

 以前に血圧の基準値について「次第に疫学者らの研究が理解されてきた」と書いたが、高血圧に関する「数値」が、時代とともに変化している。しかしTVや健康記事を見る限り、「数値」はひとり歩きしていると考えざるを得ない。

 「血圧」といっても、その定義は何であろうかと思う。それでいて示される数値によって高血圧症の評価がされているのが現実ではないか。

 問題は「血圧」の状態ではなくて、そのあとの結果である。

 一歩一歩研究はすすんでいると思うし、自分もすこしは進めたという思いはあるが、・・・・。(20040610)

弘前市医師会報,300,48−50,平成17.4.15

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