ジレンマとは「dilemma」で、接頭語の「di」は二重のであり、「lemma」は仮定であって、二重の困難な仮定にはさまれることとあった。一方を立てれば他方が立たないような相矛盾する二つの事柄であり、二者択一のジレンマ・板挟みである。
昔、中国の楚の国に、矛と楯を売る者があり、この矛はどんな楯でも突き破ることができ、またこの楯はどんな矛でも防ぐことができると自慢していたが「お前の矛で楯を突いたらどうなるか」と言われ、答えに困ったという故事から事の前後が揃わないこと、つじつまの合わないこと、自家撞着すること「むじゅん:矛盾・矛楯」というとあった。
トリレンマとは「trilemma」で、「dilemmaと同じく三者が相いれぬ択一困難の状態のこと」といわれるが、外山敏夫先生から「医療の予測はトリレンマ」の論文の別刷りを戴いた。外山先生は「慶應義塾大学名誉教授/元(財)国際医学情報センタ−理事長」であり、掲載誌は「あいみつく, 22(1), Jan, 2001-15」であった。
医療の原点であるKissick(1994)の医療の三角形を紹介し、また先生による「日本の医療制度のトリレンマ」についての模型図を示されていた。
「Kissickの鉄の三角とは I.Quality(医師、病院の医療そのものの質) II. Access(医療関係者のサ−ビスを受ける人達、住民や患者) III. Cost Containment; CC(公私の財源による医療費、国や支配者などの経済管理組織)の三者の構成である」「この三者は元来、相対抗し仲が悪いのであって、おそらく互いの軋轢は地球上の人類の終末期まで色々形を変えて続くであろうと予測される」「この三者の軋轢は、争いは個人の人間にとってはジレンマという現象である」「つまり患者と医師と支払い方式の関係は医療制度の中ではお互いに相反する社会的要素を含んでおり、問題が絶えないのである。日本語でいえばこの三者は常に「三つ巴」の仲なのである」と。
そして日本の医療については「日本では明治維新以来から西洋医学の導入以来、医療関係は医師と患者だけの関係、医師は倫理と関係なく常に上位からの世俗的パタ−ナリスムであった。医療は三角関係ではなかった」「明白な三角が構成されたのは第二次世界大戦以後の50年を経る現在までの間であった」「この比較的短期間の急速の足どりの最中に、医療三角の中で医療の質(Q)や医療を受ける制度(Acc)や(ほどこす)制度(C.C)や国としての基本的なひずみを生じて全般的な改革を要する事態を生ずるのである」と日本の医療制度のトリレンマの図を示された。
そして「各国ともジレンマまたはトリレンマ」の中にあるが、日本では以上の三者から発信されるニュ−スはばらばらで日本のニュ−スの信頼性に常に問題があると述べられていた。そして先生の研究生活の中で経験された事例を述べられていた。
その事例とは1.先生のライフワ−クの「2種以上の汚染物の混合状態での人間の肺気道におよぼす研究の探求」から得られた成果が当時の社会では生かされず、厚生省あたりから「公害」なる日本独特の言葉が生まれたこと。2. ”光化学スモッグ事件”の怪として、「10年も過ぎた日本では官民ともに臨床家とくに精神科の専門医からの意見が全くなかったことは記録に値する」「外国の医師団のように大いに各科でdebateすべきではなかろうか」「日本ではほとんどなく陰で誹謗することが当たり前になっていること」。3.「イル・ヘルスと病気」(人の健康から少し外れて調子が悪くなることを西洋ではイル・ヘルスといって病気Diseaseとはいわない。)4.「EAかEPAか」と環境保護庁(Environmenntal Protection Agency)という役所が米国に1970年頃でき、日本でも環境庁というのが発足したが、名称に保護(Protection)がない。4.”dioxinは本当の悪いのか?”この題は「Science288,200.6.16.」に掲載されたものであるが、「結論的にいえば、今は日本の新聞報道はしばらく静観した方がよさそうである」「日本には”知恵”がない」と。
これらの事例は先生の経験されたことからの意見と読みとれるが、私自身は医療にくわしくないし、研究方面もことなるので、批判はできない。だだ私自身の研究を通して、標題の「ヂレンマ・トリレンマ そして疫学」について書き留めておこうと思った。
「カオス」とは ギリシャ哲学では宇宙発生以前の原始的な状態とあり、「混沌」とは大昔天と地とがまだ分かれていない状態とあり、「カオス」「混沌」の世の中で、現在的に言えば「疫学的」思考法はヒポクラテス時代の古い医学の記録にのこされている。
緒方洪庵が「適適塾」「適塾」と名付けた訳は不明といわれているが、この言葉にはどんな考えが含まれていたのであろうか。
ジレンマのように二つに分けて考えることは、昔から「天地」「陰陽」「プラス・マイナス」・・・と、最近では「黒か白か」「悪玉・善玉」・・・・といわれるように、西洋にも東洋にも受け入れやすい、分かりやすい考え方であったと思われる。だから矛盾・デイレンマが登場するわけがあったと思う。保健医学研究会の諸君へということで「医療制度の問題がある」と書いたが(衛生の旅 Part I, 昭36)、「保険か保障か」の問題があるが、最近では「保険」が優勢である。
ジイとトリの前にモノ(mono)が在るわけで、医学研究の世界では「単一原因」の考え方の時代があったと思う。それを実際に具体化したのは、病原体である「細菌」の発見であったと思う。次々と発見される細菌類に対する対策は、その菌を「滅菌」すること、病原菌を「消毒」すること、経路を遮断する「隔離」、そして「免疫」から「予防注射」に具体化した。しかし「コレラ菌」が発見された時代でもコレラ病についての病因論に「地下水説」(ペッテンコ−フェル)もあったが。
「原因」についての考え方が「単一の因果関係にある原因」だけが「原因」ではないことは「疫学者」の間では論じられていることは前にふれたが、火災の原因とは考えられない「低湿度」「風速」が火災をおこす要因になり、火災警報をだすときに実際上役だっているという問題を以前「火災警報について」述べたことがあった。学生時代に読んだ「実験医学序説」にあった「科学の目的はこのデテルミニスムの追究を措いて他にない」とはクロ−ド・ベルナ−ルの生理学的な考え方であったと思う。
細菌以外の「濾過性病原」といわれたウイルスについての知識が具体化したのはごく最近のことと言わなくてはならないが、「細菌」とは違った考え方によらなければならいようだ。
私の学位論文になったCO中毒の原理に関係するヘモグロビンも、CO中毒の場合はCO単独ではなく酸素との「平衡関係」にあるという事実は、労働衛生に関係にする有害化学物質の許容濃度を考えるときには一般的であった各単一物質による「濃度*時間」とは異なる考え方によらなければならないことを教えてくれたものと思っている。
高血圧についての疫学的研究に踏み込んだ40数年前の時代に、「高血圧症」という言葉・概念に引っかかったことがあった。それは臨床的研究報告であったが、学会で質問したことがあった。現在でもそのような報告・研究は多いが、「高血圧症」についての研究報告であった。「どのようにして高血圧症を診断・分類されるのですか」という質問であった。一般住民の中で「高血圧症」が認識されれば、それで対策が生まれるはずだという立場からの質問であった。それは私の(健康人を含めての一般住民の血圧をどのように理解するかの)「血圧論」による考え方からの質問であったのだが、質問そのものの意味が分かっていただけなかったようであった。病気やイル・ヘルスの以前のいわゆる健康状態の人間にも血圧があり、その健康情報をどう考えたらよいかを論じる立場であったからである。「高血圧の定義の変遷をみると、疫学的研究の成果が理解されるようになったのではないか」と書いたことがあった。「高血圧」の基準も時代と共に変わり、私の専門ではないが「コレステロ−ル」の基準値も変わったと報道された。
「疫学事始」「今疫学に思う」に書いたことなのだけれど、「疫学」とくに「近代的疫学」の出発点は、私としてはジョン・スノ−におき、また「多要因疾病発生論」にふれた時に置くのだけれど、それは大きく分けて「host」(人間)「environment」(環境)「agent」(病因)の平衡関係として理解することから始まっている。私としては環境のうちの社会的環境のうちの風俗・習慣との関係に研究の月日を送ったのであった。多要因といってもどこまで多要因なのか。
この平衡関係はいわば「トリレンマ」の世界で、一方がたてば他方が立たずといった関係でもある。一方の影響力がなくなれば他方が目立ってくるという関係である。その中で「疫学者」として「正しい情報」を社会に発信するかということに価値を置いたのである。
その情報が実際に生かされるかどうかは別として。科学者としての責任をどこまでとうかという問題もあるが。
「食塩は高血圧に無関係」といわれた時代から、「食塩は高血圧に関係することは常識」の時代になり、「カリウム有用説」がよくいわれるようになり、最近のNHKのためしてがってんの番組の中のがん予防についての解説に「食塩」が「主犯」ではないが「共犯者」として説明される時代になった。(200107018)