日本労働衛生史研究会への出題

 

 三浦豊彦先生らがやっておられた日本労働衛生史研究会を仙台に帰られた加美山茂利先生が主催し平成11年9月19日開催されるとの記事をみたとき、その日付けを手帳に書き入れていた。面白い演題でもあったら久しぶりに仙台へ行ってもよいという気持からだった。

 はからずもその加美山先生から6月22日電話があった。

「昔一酸化炭素中毒の研究をやっておられた時のことを・・発表していただけないでしょうか」

 一瞬50数年前の昔のことが脳裏をはしった。

 戦後勉強にもどれた慶應の衛生で、原島進先生の指導でCO中毒の研究をやっていた時のことなどなど。

 「昔日水の小名浜工場へ久保田重孝先生・野村茂・石津澄子さんと一緒に行きました。今野正士先生のことご存知ですか、たしか仙台出身の・・・診療所におられた・・・」

 当時CO中毒の研究をやっておられた信州大小松・九大猿田・大平・北大高桑先生らの顔が頭に浮かんだ。

 私が慶應の教室でなぜCO中毒の研究をすることになったのか。

 はじめ上田喜一先生のもとでビタミンの研究のお手伝いをしていたが、先生が病気になられて、指導者がちゅうにういてしまった。そこで原島先生がCO中毒のテ−マを下さったと思う。。

 原島先生は、先生がもった「変性COヘモグロビン」の構想を、私にさらに発展することを願われていたのか。

 不肖の弟子の私がその変性ヘモグロビンはもしかしたら測定法の誤差からの認識ではなかったかと・・・勝手に・・・Hbを中心としたCOとO2との平衡関係への基礎実験をやってしまって・・・日比谷のアメリカの文化センタ−へかよって新しいCOHb測定法としてバンスライクの文献を写して・・・そのバンスライクの測定器を暗室で操作したこともあったな・・・北川徹三先生がCO検知管をつくられて・・・それを応用してCOHb測定法を考案して・・

  

三鷹にて・昭和24年          VanSlyke測定器

 あのとき撮った写真があるだろうか アルバムをみてみた。

 昭和24年8月に小名浜工場へ行ったときのものが3枚はってあった。

 このときは自分ではとらなかったのかな・・。

 

今野正士・佐々木直亮・石津澄子・野村茂   久保田重孝ら(昭和24年8月)

 7月6日 「第45回日本労働衛生史研究会」から原稿提出の封書が来た。

 仮の演題として「日本水素小名浜工場における一酸化炭素中毒の回顧」となっていた。

 「この演題名は小生が講演をお願いしたときの主旨を文字に表したもので、日医認定産業医学単位取得のために早期に県医師会に提出を要請されて作成したものであります。先生のご講演内容によりご訂正をいただくことは差し支えございません」とあった。加美山先生らしい気のつかいようだと思った。前は「某硫安工場」とあったが、歴史的には「名称」を正しく書くべきかなと思った。

 そして今考えている本題としては「昭和24年日本水素小名浜工場における一酸化炭素中毒調査前後」にしようかと考えた。 

 抄録案

 戦後勉強にもどれた慶應義塾大学医学部予防医学教室は草間良男教授と原島進教授の2教授1講座制の衛生学公衆衛生学教室となって、そこの助手に任命されたのは昭和21年10月15日であった。

 昭和23年教室は武蔵野市中島飛行機会社の青年寮に引っ越しをしたが、医学部で労働衛生学の講座を本邦初に開かれたといわれる原島進教授の下で、私の受けもった部門は「一酸化炭素中毒に関する研究」であった。昭和28年信濃町に教室が帰還し、昭和29年弘前大学に転出するまでつづいた。

原島・堀内・草間教授をかこんで(三鷹にて・昭和24年)

三好・倉田・片田・佐々木・坂本・宮下・江原

菊野・長屋・渡辺・鶴見・外山・土屋・宮坂

 なぜ原島教授が私に一酸化炭素中毒の研究のテ−マを与えられたかを推測するに、原島先生が前にやられ慶應医学(22,179,昭17.)に報告されていた「変性ヘモグロビン」の研究があり、それをさらに発展されることを願われていたかとも思う。また当時問題になりかけていた「慢性CO中毒」との関係もあったと思われる。

 しかし不肖の弟子の私は「変性ヘモグロビン」の推論は、その根拠になったCOHb測定法としての「カルミン法」による見かけ上の測定誤差による推論ではないかと思われたので、私としてはその「変性ヘモグロビン」についての研究は進ませることは出来なかった。そしてCOHb測定法の基礎的研究の研究として、従来からあった「カルミン法」「分光分析法」「ピロタンニン酸法」、そして新しく報告された「ヴァンスライクのガス分析法」の検討に進むことになり、その測定法をもとに、Hbを中心とするO2とCOとの平衡恒数に関する研究に入ってしまった。

 昭和24年1月22日大塚監察医務院で開催された中毒学会第6回集談会に「酸化炭素中毒の基礎的研究(第1報)血球素に対する酸素と酸化炭素の平衡恒数について」を報告し、(第2報)を4月23日三鷹の慶大衛生で開かれた中毒学会第8回集談会で報告している。そしてこの研究で後に医学博士の学位を戴くことになった。

 昭和24年5月26-28日に理事長南修治博士の挨拶で始まった日本産業医学会(会長石川知福教授)が開かれた時、「某硫安工場に於ける一酸化炭素中毒中毒の実態調査について」を労研病理の石津澄子さんと共同発表している。

 社団法人日本産業衛生協会編集になる「産業醫学」第四集第2巻第3号にその記録があるが、この時の発表が私にとっては学会デビユウであり、石川知福先生からの「慢性CO中毒ありやいなや」の質問とともに記憶にある。

 この学会のとき労研の久保田重孝先生が「硫安工場に於ける職業病」を発表されている。 「過去二か年間各硫安工場の職業病調査を行った成績に基づき、次ぎの諸事項に注目した」「本工場では、CO、NH3、及びSO2の三つのガスの障害を重視すべきである」と述べられているところから考えると、ちょうどCOHbの測定法を検討していた私にその測定を依頼されたものと思われる。

 「久保田重考」(一周忌追悼記念出版,昭和59)の「日本硫安工業協会労働衛生研究会の記録」(近藤秀夫pp97-106)によると「昭和22年6月硫安工業復興会議を設立」とあり、「労務厚生委員会では、・・久保田博士を顧問に迎え、直ちに職業病対策の大綱が検討された結果、まず工場現場の実態調査からはじめることとなった」とある。

 丁度同じ学会で発表があった東京工業試験所の北川徹三先生の「CO検知管」によって、環境のCO測定が容易になり、血中のCOHbの測定として「ピロタンニン酸法」と共に最も新しいバンスライクによるガス分析を行うことができて、前の発表になったと思う。

 結果として「作業前にて0-2vol%あるが瓦斯発生炉上勤務員は一様に増加し、15名中5名は3-4vol%に増加し自覚症状を持っていた」「環境CO濃度は大体0.01-0.03%、場所により0.1%を超す」と報告されている。

 当時の日記によると、昭和24年1月11日上野発久保田重孝先生石津澄子さんと平の日本水素小名浜工場へ行き、一酸化炭素中毒の実態調査を行い、23日帰京している。この時の結果を学会に報告したことになる。

 さらにこのあと昭和24年7月25日上野発日本水素小名浜工場行き8月3日帰京と日記にあった。労研の久保田重孝先生・野村茂・石津澄子さんら再びCO中毒の実態調査に参加できた。

 これらの結果は前述の硫安復興会議労働専門委員会の職業病調査第八回報告日本水素小名浜工場瓦斯工場(ガリ版76頁,昭和24年9月)に記録され、学会発表としては労働科学第28巻第8号昭和27年8月一酸化炭素中毒特集号の中(pp539-545)に「某硫安工場に於けるCO中毒の実態調査について」(慶應義塾大学医学部衛生学公衆衛生学教室佐々木直亮・労働科学研究所病理が研究室石津澄子・日本水素小名浜工場診療所今野正士・斉藤静哉)として報告されている。

 そのあと私としては、体内へのCOの摂取とか、呼気への排出とか、COHb飽和度と体内血中有形成分の変動とか、COHbを北川先生のCO検知管で簡易に測定する方法の考案などを報告したが、昭和29年弘前大学で転出することになった。

 弘前大学では当時問題があると考えられ、まだ手だてが全く謎であった「東北地方住民の脳卒中ないし高血圧の予防についての研究」へ向かうことになった。住宅環境中のCOを測定観察したこともあったが、そこに予防の手がかりは得られなかった。

 CO中毒の予防には生活環境中のCO存在の認識から始まるのではないかとの観点から、文献的に歴史的考察をして報告した。また自分としては予防の手だてのない謎解きの学問へ展開するつもりだという意味の講演を昭和31年に草間良男教授在職35年記念講演会でしている。

(慶應にて講演 昭和31年3月31日)

参考文献

1)Van Slyke, D.D. et al.:J.Biol.Chem.166,121-148,1946.

2)佐々木直亮:血球素に対する酸素と一酸化炭素の親和力についての研究(I.II):労働科学,28,46-53,58-104,1952.(学位論文)

3)佐々木直亮、大東昭雄:ピロタンニン酸法について.労働科学,28,579-583,1952.

4)佐々木直亮、大東昭雄:体内からのCOの排泄について.労働科学,29,226,1953. 

5)佐々木直亮、大東昭雄:血中COHb飽和度と血中有形成分との関係について.医学と生物学,34,86-90,1955.

6)佐々木直亮:CO検知管を用いる血中COHb飽和度の簡易測定法.医学と生物学,34,104-106,1955.

7)佐々木直亮:体内への摂取からみたCOの恕限度について.労働科学,31,631-637,1955.

8)佐々木直亮:一酸化炭素中毒研究の衛生学に於ける意義について.草間良男教授在職35年記念講演会,.慶應予防医学教室, 昭和31.3.31.

9)佐々木直亮:生活環境中の一酸化炭素存在の認識−わが国における歴史的発展を中心として−.綜合医学,14,943-948,1957.

(日本産業衛生学会 第45回労働衛生史研究会 講演要旨集,12−13,)

(産衛誌,42,30,2000)

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