今日もテレビの健康番組でやっている。「善玉・悪玉」「血液さらさら」と。
生理学者と肩書きのある方が「血液さらさら」はおかしいのではないかと、医学雑誌の随筆に書いていた。 テレビで視覚的に細胞がするする通ったりつっかえたりするのをみると、それなりに納得される。装置そのものを研究したことのない素人の見方ではあるが。
「善玉・悪玉」がいつ頃からいわれるようになったか、記憶の中をたどってみる。
1946年 ミネソタ大学の生理衛生研究室の教授になられたキ−ス先生(A.Keys)は、アメリカで当時問題になりかけていた心臓病にとりくむことになったが、その時「キ−・ノ−ト」と思われることを書いている。
「ちょうど1940年の自動車が、新しいエンジンをつけ、オ−バ−ホ−ルをし、新しい部品をつけなければ直せないのと同じ理由で、動脈硬化・高血圧は直りそうにも思えない・・・」「生活のしかたの何が心臓血管系の加齢を早めたり遅くしたりするのか?」「どうしたら個人の危険のはじめを知り、それをできるだけ少なくする方法はないものか?」と。
日本では、すでに1941年に「脳溢血」という総合研究が始まっている。欧米にはこの研究は殆ど知られていないと思われるが、内科・病理そして衛生の近藤正二先生の「成因を求めての衛生学的研究」から始まり、その後の日本での研究の展開は私を含めてその流れをくんでいると思われる。同じ動脈硬化でも日本での病理学者の見解によれば欧米とは違うという研究であったと記憶している。
木村登先生が九大におられた時の病理解剖による日本に冠動脈硬化が少ないという報告が注目されたのは当然であろう。キ−ス先生らが国際的研究としての7カ国調査をはじめられるのであるが、日本からは[NOBORU(木村登先生)」が参加されることになる。心電図など苦労された話など聞いたことが思い出される。
朝鮮戦争で戦死した若いアメリカ兵士にすでに動脈硬化があるということが話題になった記憶がある。日本で成人病という言葉が用いられる前の話である。
動脈硬化が問題になり、アメリカでは動脈のアテロ−ム変性が問題になる。アテロ−ム硬化、粥(じゅく)状硬化ともいわれるが、問題になり、血中コレステロ−ルが問題になる。そして食生活の中の「脂質」の摂取が注目されることになる。
イタリヤやギリシャなどでは「脂質」を多く摂っているのに動脈硬化が少ないのは何故か。オリ−ブ油とかペクチンなどに注目され、論文が出されるとこれが世の評判になり、キ−ス先生夫妻の本「EAT WELL STAY WELL」はベスト・セラ−になる。雑誌「Time」の表紙にキ−ス先生の顔が飾ることにもなった。「りんご一日2個」といわれたがペクチンからの説明であった。それは1954年のことである。
私がミネソタ大学に滞在していたのは1965-66年(昭和40-41年)であったが、その本にサインをして戴いたとき、本棚から日本語の訳本「長生きするための食事、柴田書店」を取り出し「atherosclerosis」を「細動脈硬化症」と訳していると、ちょっと不満顔にささやかれた。
私はスポンサ−が文部省であったので、自分の研究ができた。世界の塩類摂取の資料を検討するのに日を送り、そのまとめは日本での実情を含めて「グロ−バル」な疫学的所見についての作業仮設をセミナ−で喋ることができ、「100ドル」もらった。アメリカを離れるとき「tax clearance」をしたが。
研究室では総力をあげて「脂質」に向かって研究が進んでいるのを端で眺めていたことを思い出す。
研究室の生化学者、栄養士を総動員して、「わが愛するモルモット諸君へ」を対象に「ミネソタ・ハ−ト・スタデイ」をやっていた。精神病院の患者さんを被験者として、特別の脂肪食を食べさせ、薬を目の前で確認して飲ませ、便を集めて研究していたのを眺めていた。アメリカ各地で「ハ−ト・スタデイ」が進んでいた。その中でもフレミンガム・スタデイが有名であったが、ホノルル・サンフランシスコなど訪問したことを思い出す。
血中でコレステロ−ルはトリグリセリド、リン脂質およびアポタンパク質と一緒のリポタンパク質と呼ばれる複合体を構成しているので、 血中コレステロ−ルの測定が「總コレステロ−ル」だけでなくなってくる。コレステロ−ルは口から入るものだけでなく体内で合成されるものもあるから事情は複雑である。もともと生命維持に必要なものなのにも関わらず、「コレステロ−ル」が日本に入ってくると、一途に「悪者」あつかいされた記憶がある。
昭和50年代の日本の保健指導の本をみると、殆ど血清コレステロ−ルだけで、その域を出たものはない。卵を毎日2個も3個も食べて「心臓」で急死したタレントさんがいた記憶がある。「コレステロ−ル」は世の話題になり、まだ身近にも「卵はだめ」と思っている人がいる。私は毎日1個は食べるようにしているが。
血中コレステロ−ルの内容が遠心分離して比重で区分するようになって、「LDL」とか「HDL」とか云われるようになる。LDL(low density lipoprotein)(低比重リポタンパク質)、HDL(high density lipoprotein)(高比重リポタンパク質)が分離され、それぞれがどういう働きをするかが考察されてゆく。さらにはVLDL(very low density)は超低比重リポ蛋白質といわれるようになり、それぞれがどんな役目をおい、アテロ−ム生成に関係しているかが考察されてゆく。
ちょうどその頃ではなかったか。
雑誌「Time」ではなかったか、記事に中に「bad・・」とあったのを読んだ日本の某君座談会かで喋ったことが記事になった時「善玉・悪玉」になったと記憶しているが。
その某君にその事実を問い合わしたことがあったが、はっきりしなかったとの記憶である。もはや私の記憶はあてにならないとの自覚である。でもその原著を調べる暇もないうちにHPに書いてしまったということをお許しいただけたらと思う。
言葉その意味を一つ一つ過去にさかのぼって明らかにしてゆくことは大切だとは思いながら、「言葉は生き物のように変わってゆく」ものだと最近考えている。
例をあげればきりがないが、要はその言葉を使う人がどのような意味において用いているかという風に考えることにしている。
科学の世界では「定義」が問題になり、それによって「学問」が積み重ねられてゆくものだとの私の認識である。
朝日新聞の科学部の記者が取材にきたことがあり、私の「食塩」についての考え方が「新養生学講座」として記事になったことがあった。昭和55年7月に纏めて出版された本の中に「コレステロ−ル」の章がある。「栄養の制限は、ほどほどにしないと逆効果・・・」「血液中のコレステロ−ルが大きいとどんどん血管壁にたまるとか、食べ物の中にコレステロ−ルが多いと動脈硬化が進む、なんていう単純な話ではありません」との大国真彦日大教授の話が紹介されている。「ベ−タ・リポたんぱくと結合したコレステロ−ルは血管壁に沈着が進むが、アルファ・リポたんぱくに結合した方は、逆に血管壁からコレステロ−ルを引き出す機能をもっていることが、最近確かめられた」と。アルファ−とかベ−タとかいうのはHDL・LDLの同義語と思われるが、最新のニュ−スであったのであろう。この記事の中に「こうなるとコレステロ−ル全体を目の敵にしても始まりません。”善玉”のアルファ・リポたんぱく・コレステロ−ルを増やすにはどうしたら良いか」と運動と少々の飲酒が良いとの研究も紹介されている。
成人病がいわれ、小児成人病といった言葉がいわれるようになった昭和50年厚生省心身障害研究小児慢性疾患研究班(班長熊谷通夫)で「小児疾患動脈硬化の小児期の予防」について班員として参加したことがあった。
私は小児の血圧測定の検討結果を報告したが、各班員のコレステロ−ルの測定値があまりも違うのに驚いたことがあった。まだ測定法が未熟な段階であったのであろう。その測定値について色々考察してもどうかなと思ったり、国際的には通用しないのではないかとの印象をもった記憶がある。
動脈硬化が「regression」(復帰する)という証拠があがってきたとの報告がでてきた。それは何故か。具体的には食餌療法とか薬剤へと研究が進む。「動脈硬化・高血圧は直りそうもない・・・」が「直りそうだ」になったのである。
家系的にも高脂血症があると報告され、今はやりの「遺伝子」の問題でもあることになってきた。
「コレステロ−ル測定」も十年以上たった今日は精度管理がすすんだのであろう。一般の健康診断に採用されている。
最近の日本動脈硬化学会では指標として「血清中のコレステロ−ル値が220mg/dl以上、中性脂肪値150mg/dl、LDLコレステロ−ル値が140mg/dl以上のいずれかに当てはまれば高脂血症と診断し、またHDL値が低すぎるのも問題なので、40mg/dl未満を低HDLコレステロ−ル症としている」
コレステロ−ルの問題が今や「LDL」の時代になって、そのLDLが動脈硬化には悪い方向に働く、「悪玉」であると、日経の一面全面広告記事ではあるが連載されている。スポンサ−は薬品会社である。大豆や豆乳の広告もある。テレビでは「アメリカの**博士の研究」とか、「今この瞬間に学会で発表されている最新ニュ−スで・・」とやっている。
「成人病」から「生活習慣病」の時代になり、今の記事のまとめは「生活習慣病」である。運動とか食塩も7グラムなどいわれるようになった。
「動脈硬化」を中心に記憶をたどってみたが、人間の中では「高血圧」にも「糖尿病」にも「脳出血」「脳梗塞」にも「心筋梗塞」「狭心症」にもみな関わりのある問題である。
日本人も生まれ育った時代と共に変わっている。
学問はもっと進んでいるに違いないと思いながら、自分のやってきた研究を新聞などのメデイアがどう伝えてゆくかをふりかえっているが、世の常識になるには自分のやってきた研究からいえば30年は遅れているとの印象である。
専門のこと以外のことについていえば、だが、なんとなくわかる話である。