美しき五月に、さくら満開

 

 「美しき五月に」は、「デイ・シェ−ネ・モナ−ト・マイ」のドイツリ−ドで、私のよく歌った曲だった。今五月になって弘前は1年で最も良い季節を迎える。

 歳をとって何時お迎えがきてもおかしくない年令になったという自覚はあるが、自分の体の調子が少し良くなったことと共に感ずる個人的なことかも知れない。

 大雪のあったこの弘前のみちのくに「春」は来るのかと思われたのに、4月23日からのさくらまつりの会期にあわせるようにさくらはさき初め、5月に入ってさくら満開情報が聞かれるようになり、会期も8日までに延長になった。

  3日朝天気が良かったので、公園まで足をのばした。車椅子ならぬ自分の足で。

 2005.5.3.630am

「さくら満開」は、19歳の横峯さくらさんが、先日の女子ゴルフで初優勝した翌日の新聞の見出しに一斉に出たキャッチフレ−ズで、さくら前線が南にあった頃であった。

 

 天災ならぬ4月25日午前9時すぎにおこった福知山線事故のニュ−スについては26日に書いたが、亡くなった方が106名から救助された方が亡くなって107名までになったと報道され、事故による死亡数の統計の問題点を考えることになった。

 衛生統計では事故一つのことを二面から「今回にあてはめれば加害は電車と身体は圧迫死」と数が数えられるが、死亡数はその日とその後とどうなるかという問題がある。警察と衛生とでは考え方がことなる。原爆の後遺症など、いまだに数が数えられるが、その数での問題の指摘はどうなることか。107名の死亡それぞれに語られる悲劇が報道されてはいるが、まだ多くの方が入院中であることも忘れることはできない。

 丁度TVで癌の特集を放映していたが、ちょっと見ただけだが、アメリカでは「死亡率」が下がってきたといい、わが国で上昇していると、「イメ−ジ」で示していた。そこに「癌」に問題があるかに受け取られる「番組」であった。 

 「死亡率」も「癌」もその内容は分からないままで、今も昔もちっとも変わっていないと受け取った。癌は部位別に問題があるはずだし、死亡率にも色々数値があり、生まれ育った年代によって、すなわち「コホ−ト別」に問題は異なるはずであるが、それを十把一絡げに論じてもと思うのだけれど、「癌の予防」が云われてから何年たったのであろうか。どうなっているのだとの感想である。

 孫(伸ノ亮)の保育園と幼稚園の入園のときのテ−プを送ってくれた。

 「楽しませて戴きました」と返事したが、丁度その時TVBS1で「Kindergarten」(中国の幼稚園)をみていたので、その違いにひどく印象づけられたことを書いておこうと思う。

 中国の幼稚園の番組の趣旨はどんなものかはわからないが、「実写」をつなぎあわせたものであったので、それぞれは「事実」であると見たが、その場面の中で「よくけんか」をしていることとか、こぶしをあげて「アメリカをやっつけろ」「日本人をやっつけろ」とか言い合っているシ−ンがかなりあったのをみたことであった。 かつてわが国でも「鬼畜米英!」と言い合っていた子ども達の姿が記憶の中にあることと重なった画像であった。 丁度中国の「反日デモ」が放映され、「愛国無罪!」と叫びあるく人達をみていたので、「愛国教育」がこんな子ども達にまで行われているのなら、「抗日デモ」が、また一寸前の「反米デモ」があっても不思議はないという思いがした。でもWebを利用した「しかけ人」がおり、その人を「英雄」とする記事もあった。でもその狙いは「共産党一党支配」に対する「民主化運動」とみる見方もあって、今後の中国の行く末を考えさせる出来事であった。

 などなど・・・、ニュ−スは毎日絶え間なく、「自爆テロ」はつづき、アメリカの次期大統領は誰?も出てきた。

 5月1日には東京の息子達家族が久しぶりに集まるのだということであったが、「八十の足」を理由に上京はしなかった。

 丁度その日、TVBS2で、前々から予告されていた「お−いニッポン・私の好きな青森県」が午前10時から昼をはさんで午後の7時まで放映されていた。

 津軽・南部・下北とバランスよくまとめたとみたが、「おふくろの味」のラ−メン決定もあったが、最後の「青森ラプソデイ−合唱付」は、「ジイ−ン」ときた人も多かったのではないかと、自分を含めて感じた話は後日にゆずろうと思う。(20050503)

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