情報・情報についての記憶から

 

 「このごろ何かさわいでいますね!」

 「わかりません、不明の至りで!」

 と国会の予算委員会での質疑のTV中継をみていたら、こんな問答があった。

 今話題の「ホリエモン」に関わる話であるが、誰が質問し誰が答えたかは問題ではないが、ある時期の議員の考え、またそれに答えた総理の考えが分かった。

 わが代議士諸君の質疑また大臣らの応答によって日本の進路が決められ動いてゆくのであるから、最近行われるようになった国会の「生」の放映は、国民としては興味しんしんである。と云っても話題が外交とか国防に関することになると、「国益」とか「秘密」をどう考えたら良いかが問われていることになる。公務員の守秘義務との関係である。「公」(パブリック)をどう考えるかによると思われるが、国家公務員として生活してきた身にとっては未解決のまま時がすぎていった。と思っていたら役人は株をもってよいものかが問われるような報道があった。

 現在にも続く「情報」「メデイア」論の話題であるが、それに関連のある記憶を書いておこうと思う。

 

 戦後慶應の衛生にいた頃であったが、ある代議士の息子であった方から聞いた話は忘れられない。

 その方の話では、代議士を押し出したかげの人がいるのだということであった。要はその代議士から「情報」を早く知り、それを自分の事業に生かすためなのであると。今いう「インサイダ−」の情報である。「早耳」に意味があるのだと。

 日本の憲法発布の日に初めて日本で新聞が誕生したと云われるが、その「日本」新聞の創刊の言葉に何といっているかを、弘前の図書館へいって調べたことがあった。「政見の主張」と「広告」が主たる目的であると読んだ。陸羯南の後を引き継ぐ人はいなかった。日本新聞の記者であった俳句の正岡子規は別として。

 時事新報を発刊された福沢諭吉先生は何と云っているかと調べたことがあったが、義塾の同窓生が増えてきたからという以外にはその趣旨は読みとれなかった記憶である。

 それでも福沢先生は色々書いたが、最後に「一面真理・・・一面無」とも云っている。 

 最近思い出のアルバムとかいって「ア−カイブス」という言葉が聞かれるようになった。昔病理学のドイツ語で「ア−チブス」とかいって第1の症例の記録を集めた雑誌があった。ワシントンへいった時、「ア−カイブス」という名の建物があって、「アメリカ独立」の資料などをみた。わが国では「古文書館」か。

 「毎日が歴史である」とその日その日の記録を書いた自分を思い出す。「衛生学教室ニュ−ス」の原稿を書き、鵬桜会報に「衛生学教室のアルバムから」やスキ−部誌のSPURに「弘前だより」を、保健医学研究会の記録「明日の健康を求めて」を書いた。

 今のTVに「バンキシャ」というのがある。

 大臣などにつきっきりの記者である意味ととれるが、前は「ハコ記者」といっていたのだと古手の方が云っていた。自動車に一緒に乗せてもらって色々聞けるような記者になるという意味だと説明していた。記者の取材に「朝かけ」「夜かけ」とも云っていたようだ。それで「社会部」とか「政治部」とか記者の取材に専門性がでる言葉であろう。それでいて「スク−プ」が記者の勲章であり自慢話になる。

 今はラジオやTVによって、日本列島北から南と、また世界のトップのニュ−スもわれわれも見聞きできる時代になった。イタリヤ人の記者が解放され、情報員が死亡した。「海賊」に拉致された「韋駄天」の人も解放された。よかったと思うがその「真相」はよく分からないこともある。

 一方まったくといっていいほど「情報」の分からない国々もまだある。情報公開が「ソ連」の崩壊につながった話がある。 

 これも大分前の記憶だが、ある大学教授に取材にいった記者が「君等と話す暇はない。日本の学問が遅れる!」といわれたとか。「記者は不勉強だ」と書いていた方もいたが、自分もそんな気持をもったこともあった

 私も現役の時には、多くの記者に取材を受けたことがあった。わざわざ弘前まできて。その時の話を記者諸君を前に喋ったことがあった

 最近は学者自ら記者会見の場を設けてという風景もみられるようになった。それも学会発表の前に。PRの実行であろう。だが学会とは?と考えたこともあった。

 TVでも学会抄録などから話題になりそうなを拾って、「最新の情報!とか」「今学会で発表しています!」とかやっている。研究内容が批判に耐えたものなのかどうかは分からないのに。

 結核菌の最初の発表が別の「生理学会」であったという記憶がある。

 学会といってもいろいろで、その運営の仕方もいろいろである。 学会を主催したときに、委員会をつくって、その演題を採用するべきか、不採用にするべきか、論議したこともあった。

 第6回世界心臓学会がロンドンで開催されたとき、英語圏以外の国からの演題の採用が少なくて不評判であった記憶がある。日本で開催されたときには運営委員、演題裁定委員としてお手伝いしたこともあった。

 「著名な」「権威のある」学会に採用されたということで、研究の内容まで「権威がある!事実」と一般にはとられているようで、そのように「精神的に拉致」されてしまうのが今の世の中である気がしてならない。

 「事実は小説より”き”なり」という言葉があるが、読書とは, それにふれた瞬間から現実からはなれて・・・という解説があった。 CMとかドラマなど見聞きすると、役者・声優など、よくやっていると思う反面、”わざ”とらしく、気になるようになった。

 新聞・TVと「情報」に関連する記事・放映がつづいている。NHKと朝日新聞との間のやりとりはまだ不明確であるという印象がある。 

 ラジオ放送開始80年だそうだ。

 小さい頃三井物産に勤めていたが「受信機」を買って来たときの記憶がある。庭に竹ざおを二本たててアンテナをはり、カミナリを防ぐとかで、廊下に切り換えを附けたこととか、レシ−バを耳にあてて聞いた記憶がある。鉱石ラジオから、テレフンケンとかいっていた受信機にも思い出がある。

 「明治神宮球場−カラスが二三羽とんでいます−」と放送でいったとかで有名になった「松内アナ」がいた。その身内の松内君が幼稚舎のクラスにいて、「つうち!」といっていた記憶と結びつく。

 中学生のときNHKの「荏原新響練習所」から合唱を放送した写真がある。ソロの部分の声が流れたとき、あれは「直ちゃん」に違いないとがいっていたとか。そのことを隠していた自分とその時歌った歌とともにある記憶である。

 弘前へきてから弘前放送局とか民間ができてからも随分放送した

 ラジオだけだった頃、毎週新聞記者たちとオシャベリする番組をもったことを思い出す。自分が書いた原稿が記事になったという嬉しさとは別に、「デスク」が勝手に見出しを書いて!とも云っていた記憶がある。

 「種痘で有名なジェンナ−が、自分の息子に接種したという美談」が「息子ではなかった」という間違いを昔の教科書について調べたことがあった。東京の教科書の図書館へ行って。

 「地震・かみなり・火事・台風」と天災はあとをたたない。

 国際防災会議で日本の教科書にのった美談が話題になったと報道された。庄屋が稲の束に火をつけて道を示し住民の命を救ったという物語である。だがこの教科書にのった物語にも、史実を調べた方が事実とは異なりいろいろいきさつがあって教科書にのったというラジオの解説があった。だが小さいとき教わった情報はなかなか抜けないものだと思う。

 そんなことから「日本列島慢性食塩中毒論」を新聞に投書したことを思い出す。  

 スマトラ沖で地震がおこり、「つなみ」におそわれたとき、「つなみ」にあたる表現がなかったという。「海面があがった」とかいっていたのが、今は「TSUNAMI」が国際語になったとか。

 大正大地震の経験から日本のラジオも誕生したと放映があった。

 戦時中は気象通報・天気予報は中止された。短波は禁止されていた時代であった。

 わが家のラジオも”傍受許可”をもらって、何千番かの番号のあった小さなアルミの板を玄関に附けていた記憶がある。

 「大本営発表!」から戦後の情報のコント−ル下にあった記憶もある。

 「ハイルヒトラ−!」と大勢の大人が手をあげていた風景、「9.11後のアメリカ」、「フセイン政治下の風景」、「3.11後のスペインの風景」、また「オレンジ革命!」と云われる風景、そして「キルギスでの政変」、その後ろに「情報」に左右される「群衆」がいる、「衆愚」と云ってしまえば反論もあろうが、「衆心発達論」的に人々の気持ちを考えないわけにはおられない。

 TVまたコンピュ−タの、またブロ−ドバンドになり、そしてあと4-5年たつと全国的にデジタルの時代になると云われ、坂村健さんらの「ユビキタス」はあと7年といっていた。

 時は流れ人は変わり、3月には人事移動がある。大学病院の科名もかわるそうだ。私が着任したときには「衛生学」一つだったが、その後「公衆衛生学」が出来たが、近く「社会医学」一つになるという話が聞こえてきた。

 「愛:地球博」が開催された。

 名古屋は「大いなる田舎」とか云われた記憶があるが、今「TOYOTA」が世界に名を、の時代である。

 「愛」と書いたのは三男に先日娘がうまれ「愛」と名付けたことと関係がある。但し「まな」とよぶそうだ。「愛娘(まなむすめ)」である。

 世界中の人々が個人として自覚を持ち、社会もこれに答えてゆく時代になるのではないかと思う。一人一人の「on dimand」の要求に、個人個人の要求に答えてゆく時代になるのでないかと思われるというのが私のこの文をまとめての気持である。これも義塾の「独立自尊」の中に教育を受けた自分であるからであろうと思う。

 だが、どんな時代になるのであろうか。

 「さわがしい!不明に至り!」ではすまないと思うのだが。(20050327)

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