健康の女神 

コス島のこと

        

 こんどのオリンピックは私の「世界塩の旅」のひとつソルトレイクとアテネだ。

 アテネといえばギリシャ。ギリシヤといえば「コス島への旅」が思い出される。

 私は彼女「健康の女神」を尋ねてコス島へ渡った。

 古代ギリシャの「あれが奴隷社会を前提として生まれた思想とはいえ」ソクラテス・プラトン・アリストテレスとつづく知恵を愛する人達と同時代に、「医の父」ヒポクラテスがいたことを忘れることはできない。アリストテレスは「医術はあらゆる技術(テクネ)のうちで最も高貴なものである。ところが、それを実施する者の無知とこれに対しての軽率な判断をする者の無知によって、いまや、あらゆる技術のうちで最も軽視されているのが医術である」といっている。「観察・記録・考察の自然科学的学問の始祖」ともいうべきヒポクラテスがいたことを忘れることは出来ない。

 永井潜先生の「哲学より見たる醫学発達史」を読んだとき「コス島」のことを知った。「アスクレピア―デンと称する醫師団が、宗教とは無関係に、醫育機関をめぐって発達するに至った」「醫育機関として有名なのは小亜細亜多島海の一小島コス」「大醫ヒポクラテスは、実にコス島のアスクレピア―デン中から興起したのである」とあった。

 

 「ヒユギエイヤ」のこと

 

 田多井吉之介先生翻訳のデユボスの「健康の発達史」を読む機会があった。

 この資料の「ヒユギエイアとアスクレピオス」という「健康の神々」についての章に特に印象づけられた。ギリシャ人の願いであったヒユギェイヤに惹かれるものがあった。

 「理性に従って生活する限り健康にすごせるのだ」という信仰に惹かれるものがあった。

 デユボスの原著(Rene Dubos:MIRAGE OF HEALTH)を求め、理性と訳されている元の言葉として(reason)が用いられていることを確かめた。

 「健康は事物の自然の規律であり、生活を賢明に統御しさえすれば可能になる積極性をもっている」という点に思いをよせ、昭和三十九年の日本衛生学会長としての挨拶の中で衛生学をその理の追究におくと位置づけた。

 昭和四十年九月六日から一年間文部省発令によって在外研究の機会が与えられた。アメリカからヨ―ロッパへ回ったあと、出来たらコス島へよってみたいと考えていた。

 そして篠田秀男先生に次いで「神殿」「ヒポクラテスの像」「健康の女神の像」「医聖ヒポクラテスゆかりの歴史的老樹プラタナス」を見ることができた。帰国後原島進先生から「衛生の旅」を書くようにいわれた。

 

 「健康」のこと

 

 昭和二十二年創刊の公衆衛生学雑誌に「世界保健の大憲章(A Magna Carta for World Health)」が紹介された。WHOが誕生したこの時日本はかやの外であった。そして「Health」の定義を、また日本語訳の「健康」を知った。

 「健」も「康」も中国伝来であるが、「健康」に新しい意味が与えられた。

 長與専斎が「醫制を起草せし折、原語を直訳して健康若しくは保健などの文字を用ひんとせしも露骨にして面白からす、別に妥当なる語はあらぬかと思めぐらししに、風と荘子の庚桑楚篇に衛生といへる言あるを憶ひつき」の「衛生」でなく 「健康」に新しい意味が与えられた。

 ロ―マでは「彼女は一般の安寧を守る神のサ―ルスとして知られるようになった」。ペッテンコ―フェルは研究所に「ヒギ―ネ」の名を付した。日本では「衛生神」と云った。

 だから衛生学の教授として「健康の女神」にあいに行きたかったのである。

 

 「自分」のこと

 

 大正十年にこの世に生をうけ、「福沢の大先生のお開きなさった慶應義塾 その幼稚舎」から大学卒まで慶應義塾で教育を受けた。福沢諭吉先生は緒方洪庵の適塾で学んで、「洋学」をうりものに「義塾」を創設された方である。「事物を疑て取捨を断ずる」の「学問のすすめ」を、また「なにものにもとらわれない主体的な批判的精神」を「文明論」に学んだが、これらは古代ギリシャ時代からの「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」「哲学は驚きに始まり」「医師ということばの由来であるフィジカ(自然学)の思想」によってきたるものと考えられる。私はこれからのがれることは出来ない。

 学んだ医学はもとをただせばヒポクラテス由来のドイツ流であった。海軍軍医になったが海軍はイギリス流であった。戦争で多くの友を失ったし、結核に感染したが生きながらえた。戦後の医学はアメリカ流であった。

 縁あって弘前大学で衛生学の教授になり、教育と研究と社会の奉仕に勤めた。「疫学事始」で人々の生活を見つめ、疫学的研究を展開・報告し、停年まで勤めた。「食塩と健康」「りんごと健康」にまとめたが、ギリシャ神話の「ヘスペリスのりんご」以来健康のイメ―ジとむすびついている「りんご」にぶつかったことは幸いであった。

 自ら「epidemiologist」と称し「疫学による予防を」と云ったが、八十歳をこした今、百年前福沢先生が「一面真相 一面空」と書いた心境がわかる気がする今日この頃である。今までの生涯はホ―ムペ―ジ(http://www.med.hirosaki-u.ac.jp/~sasakin/naosuke.html)に入っている。

Active Life 名公医ニュ−ズ レタ− vol.9,2,平成14.1.1.)(鵬桜会報,44,109−111,平成15.転載)

追加

「Active Life 名公医ニュ−ズレタ−」とは 民間の検診機関である名古屋公衆医学研究所発行のもので全国の検診機関、厚生労働省関係の行政機関に1500部位配布されておるという。名古屋大学名誉教授の青木国雄先生が理事で、この雑誌の編集を引き受けられた関係で、小生に来春の1月の巻頭言に健康・予防医学関連のことについて原稿依頼があった。その原稿が上記のものである。」

「この雑誌には毎回写真がのっているのだが、10月号に”りんご”を載せたいという話しが折り返しあり、手持ちのスライドを送らせて戴いたのだが、気にいられたのか採用された」

「青木先生の編集後記に、りんごは健康増進に貢献していると書かれていた」

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