記憶に残る雑誌(4)

記憶に残る雑誌として最近のものまで。

弘前大学医学部スキ−部誌としての「SPUR」に「弘前だより」を昭和34年の「No.1」から平成13年の「No.40」まで継続して書いた。バックナンバ−は鵬桜会へ寄贈した。

   

塾友会刊行の「塾友」に「弘前のこと」(338号, 58-60, 昭61)を書いた。弓術部で一緒だった石黒圭三君が編集をやっていた。

昭和60年度第23回全国大学保健管理研究集会が弘前大学で開催された時の「報告書」に特別講演I「健康と文化--疫学的な見方考え方」が記録(pp27-37, 昭61)された。

「栄養と料理」の特集「日本人はどのようにして塩分を減らしてきたか--塩分摂取--過去・現在・未来」の座談(香川芳子・佐々木直亮・渡辺孝)の内容が掲載(53(11), 99-109, 昭62)された。

大道学館出版の「臨床と研究」の特集「高血圧と降圧治療」に「加齢と血圧」(62(2), 354-359, 1987)を書いた。

   

宮城県公衆衛生協会刊行の「公衆衛生情報みやぎ」の新春随想「東北のこと」(121号, 2, 昭62)を書いた。

丸善刊行の「循環科学」に「塩と心臓病」(10(5), 482-485, 1990)を書いた。「地域における循環器検診」(2(1), 14-17, 1982)を書いたことがあった。

私のライフワ−クとも云うべき追跡的疫学研究のまとめ「生活条件と血圧、とくに食塩過剰摂取地域におけるりんご摂取の血圧調節の意義について」が「日衛誌, 45(5), 954-963, 1990)」にようやく掲載された。桜井治彦君が編集委員長の時で査読が極めて厳しかった思い出がある。この論文が掲載されたので「りんごと健康」を書く気になった。

  

青森県内の名水を認定する委員会ができた時であったが、「グラフ青森」に「水は生活の基礎」(No.131, 10-11, 平成2)が掲載された。

弘前市で第44回青森県学校保健研究大会が開催された時の基調講演「これからの子供の疾病予防から健康増進について」の抄録が掲載(pp58-59, 1990)された。

日本産業衛生学会東北地方会(角田文男地方会長)刊行の「みちのく」に「産業医学へのノスタルジア」(No.5, 2, 1991)を書いた。

医歯薬出版刊行の「週刊医学のあゆみ」に田中平三先生の勧めで社会医学欄に「リンゴ摂取は高血圧の予防になるか?」(159(2), 117, 1991)を書いた。

   

東北女子大学へ勤務するよになって「東北女子大学・東北女子短期大学紀要」に「青森県内女子学生の初潮発来の年次推移と季節変動についての観察」(30, 106-109, 1991)、「東北地方2町村の死亡の動向--出生コホ−トによる検討」(31, 81-87, 1992)、「日本における死亡と血圧状況の年次推移--出生コホ−ト分析による検討」(32, 116-122, 1993)を書いた。

弘前大学医学部第12回卒業生(昭和41年3月卒業)同窓会記念誌(II)に「近況」(pp4-5, 平3)が掲載された。

弘前地方のタウン誌「弘前」に「解説現代健康句」を津軽書房から刊行した機会に「いつまで元気でいたい」(175号, 4-5, 1994)を寄稿した。「一日一個のリンゴは医者を遠ざける」(181号, 13-14, 1994)は「解説現代健康句」からの転載である。

青森県精神保健協会発刊の「こころの健康」に第36回青森県精神保健大会の公開特別講演「心と体の健康句」(35(1), 3-15, 1996)が掲載された。

   

日循協創立30周年記念の第34回日循協総会が青森市で行われた時の記念講演「日循協30年前夜の人々」(30(2), 141-147, 1995)が掲載された。

エ−スア−ト刊行の「臨床科学」の医療今昔物語として「93. 高血圧」(32(2), 240-246, 1996)を書いた。

医学書院刊行の「公衆衛生」には多くの論文を寄稿したが、21世紀へのメッセ−ジ「疫学による予防へ」(60(4), 234-235, 1996)、「丸山博先生のこと」(61(7), 518, 1997)が掲載された。

日本疫学会ニュ−スレタ−に「今、疫学を思う」(No.8, 1-3, 平成8)が掲載された。

     

第29回全国保健衛生大会が黒石市で行われたときの特別講演内容が伊藤弘先生の話で「南黒医師会報」に継続掲載された。「津軽に学ぶ--りんごと健康」(12号, 20-24, 1997)(13号, 14-16, 1997)(14号, 19-22, 1998)。

青森県長寿社会振興財団刊行の「あすなろ倶楽部」に「わたしの散歩道(XXI)城西大橋」(写真と文)(21号, 平成9年春)と「病は世につれ 世は病につれ」の連載「第1話ばかもりやの時代」(22号, 18, 平成9年夏)「第2話酒は百薬の長か」(23号, 18, 平成9年秋)「第3話塩は調味料の大将だ」(24号, 18, 平成9年冬)「第4話りんごは健康に奉仕する」(25号, 18, 平成10年春)「第5話たばこは吸わぬになった」(26号, 5, 平成10年夏)「第6話昔梅毒今エイズ」(27号, 6, 平成10年秋)「第7話鳴いて血をはくほととぎす」(28号, 5, 平成10年冬)「第8話衛生厚生そして今」(29号, 5, 平成11年春)の文と写真が掲載された。

社会医学研究会主催の第28回社会医学研究会総会が仁平將が世話して弘前大学で開催されたときの特別講演「疫学事始」が「社会医学研究」(No.16 45-52, 1999)に掲載された。

産業医学振興財団刊行の「産業医学ジャ−ナル」に随筆「思うままに」(22(2), 68-73, 平成11)を書いた。

名古屋公衆医学研究所発行の「Active Life 名公医ニュ−ズレタ−」の表紙(No.8, 平成14)にに”青森県の津軽のリンゴ”が掲載されたことがあった。編集委員長の青木国雄先生のおすすめであった。つづいて「健康の女神」(No.9 2, 平成14)を掲載して戴いた。同じものを鵬桜会報(44号,109-111, 平15)に掲載したいとの話があった。

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