記憶に残る雑誌(3)として、昭和60年(1985年)まで、積み残したのも含めて。
青森県りんご販売対策協議会発行の「青森りんご通信」に学会発表の内容を書いてくれと依頼をうけて「食生活と高血圧--りんごで血圧を下げた実験」(No.10. 昭33.1)を書いた。続いて「りんご通信」に「食生活と高血圧(1)長生きのひけつ」「(2)高血圧の元凶は食塩」「(3)もっと新鮮な野菜果物をとろう」「(4)りんごで血圧を下げた実験」「(5)りんごは何故長寿のもとになるかの理論、高血圧にならぬ工夫と養生法」(No.23-28, 昭33-34)を連載した。いずれも当時勉強していたことを分かりやすく書いたつもりだが、それを停年まで納得できるまで追いかけた思い出がある記事である。
それをまとめたパンフ「りんごは長生きのもと--食生活と高血圧」(昭34)、もっと短く書いてくれといわれ「りんごと高血圧」を書いた。「青森県のリンゴ」(昭和33年度)に科学随想「食生活と高血圧-リンゴは長寿のもとになるか」(pp102-103, 昭33)を書いた。
青森県国民健康保険団体連合会発行の「青森県国保」には弘大保医研の活動がいくつか掲載された。「保健施設活動特集号」(No.120, 昭35)など。
佐藤煕先生が弘大学長のときだったとの記憶であるが「学園だより」を創られた。題字は先生が書いたと記憶している。私も編集委員をしたが随筆「あたり・高血圧・食塩・りんご」(13号, 7, 昭45)に書いた。
青森県農業協同組合中央会発行の「農協あおもり」に「生活水準の向上とは何か」(Vo;.11, 12, 1962)を書いた。
日本循環器学会刊行の「Japanese Circulation Journal」に「Proceedings of the First Asian Pacific Symposium on Hypertension」として発表「Epidemiological studies on hypertension in the northeastern parts of Japan」が掲載(Vol.41(10), 1139-1142, 1977)された。第29回総会でのシンポジウム「高血圧の成因」での発言「疫学的研究の必要性」(Vol.29, 172, 1965)が記録されている。
青森県地区組織連合会刊行の「県民と健康」にはいくつか寄稿した。「医師として家庭の健康を考える」(32号, 3, 昭48)など。
日本心臓財団発行の「心臓財団ニュ−ス」に「日本人の脳卒中と高血圧--とくに東北地方の話題から」(昭和52年夏季号、3-4)など書いた。
近代企画発行の「Drug & Medical News」に「脳卒中・高血圧の疫学的研究における最近の話題」(No.572, 6-8, 昭533.7.5.)を書いた。
大池弥三郎先生らの尽力で碇ヶ関に出来た黎明郷リハビリテ−ション病院で一時理事をやっていたが、病院発行の「黎明郷だより」に「”リハビリ”に思う」(第28号, 昭54)を書いた。
弘前大学医学部白菊会から出されていた「弘前大学白菊会のしおり」に特別寄稿「百七十六才のマ−ジャン」(第5号, 4, 昭54)を書いた。
主婦の友社から刊行の「わたしの健康」から原稿依頼があり、「カリウムの多いリンゴ、豆、イモは血圧を下げる」(p76, 1980.1)を書いた。
第15回日本循環器管理研究協議会総会(会長佐々木直亮)が弘前で行われた時の、総会号(15(3), 1981)である。主題は「血圧と脳卒中の管理」とした。会長講演「血圧論から食塩文化論へ」(pp169-178)やシンポジウム「循環器管理における血圧に関する諸問題」(司会佐々木直亮)が記録されている。
日本保険医学会創立80周年記念総会での特別講演「日本人の高血圧--疫学の成果と展望」全文が掲載(日本保険医学会誌, 79, 59-92, 昭56)された。英文抄録(Articles Summarized)「Hypertension of the Japanese population--Achivement and Prospects of Epidemiology」(pp5-6, 1981)もあった。
保健同人社刊行の「保健同人生活教育」には統計の再認識「コホ−ト分析による健康の追跡」を連載した。いずれも昭和56年の(25(4), 64-67)から(25(5), 58-61)(25(6), 68-71)(25(7), 44-47)(25(8),72-75)である。「特集津軽の地域保健活動」(司会武田壌寿,小野定男、鳴海吾郎、花田ミキ、佐々木直亮、工藤みちえ、鈴木治子、小野淳信)(27(11), 6-43, 昭58)、「どんな食べ方で塩が入るか」(51-58, 昭59)が記録されている。
「HYPERTENSIOM高血圧今日の考え方」(荒川規矩男編集委員長)から依頼があって「自動血圧計について」(Current Concepts in hypertension., 2(1), 18-22, 1981)を書いた。
東北脳血管障害懇話会主催の第4回懇話会に中村隆先生に呼ばれての特別講演「世界的視野からみた東北の脳卒中」が学術集会記録(1-15, 昭56)に記録されている。
The Lancet の Letters to the editor へ投稿した論文が受付られた。「Changes in salt intake and blood pressure」(Naosuke Sasaki, Masao Takahashi, Sho Fukushi and Kpocjo Takemori:THE LANCET,No.8247, 632, Sep.Vol.II,1981)に掲載された。竹森幸一君の名前がミスプリントされていた。
Ecology of Food amd Nutrition へ投稿して受理掲載された。「Mineral contents in hair from ORIOMO papuan and Akita dwellers」(Naosuke Sasaki, Koichi
Takemori, Ryutaro Ohtsuka and Tsuguyoshi Suzuki:Vol.11, No.2, 117-120, 1981)に掲載された。
興和KK出版の「興和医報」に「脳卒中の疫学」(26(通巻123号), 12-35, 昭57)を書いた。
慶應義塾幼稚舎の「仔馬」200号記念に「幼稚舎と綱町」(pp165-167, 昭57)を書いた、
ノ−ス・カレリア・プロジェクト主催の国際シンポジウム「食物とミネラルとの関連」が東京で開催されたが、その要旨をMagnesiumという雑誌に掲載することになった。「Na and K Intake of the Japanese」(Naosuke Sasaki:Magnesium, 1, 151-155, 1982)。
この時の日本語版として「最新医学」の特集「食物ミネラルと循環器疾患」の「日本人のNa、K摂取と高血圧」(38(4), 654-658, 昭58)が掲載された。
昭和57年青森市において第23回人間ドック学会(会長大内清太)が開催されたとき、シンポジウムIに「血圧情報の客観化」(三上聖治、竹森幸一、仁平將、佐々木直亮)の報告があった。予稿集に抄録が掲載(17, 昭57)された。内容は「日本病院学会雑誌」(30(3), 20-22, 1983)に記録された。
カネボウメデイックが日本短波放送した内容を印刷発行した。「日本人の高血圧症」(佐々木直亮、家森幸男、久野周一)(pp1-8, 病態シリ−ズ(15), 高血圧, 昭57)が記録された。
医学史研究会刊行の「医学史研究」に丸山博先生の勧めで資料「草間良男先生聞き書き」(57, 739-744, 1983)を書いた。一部抄は日本医事新報へ。
弘前大学綜合文化研究会から「弘前大学キャンパス・ジャ−ナル」が刊行されたことがあった。「世界塩の旅」(5, 4-5, 昭58)を書いた。手元のバックナンバ−を弘大図書館へ寄贈した。
弘前大学医学部主催の第26回全国医学生ゼミナ−ルが開かれたとき、「新入生歓迎パンフレット」に「脳卒中はなぜ減ったのか?」(pp2-3)を書いた。
日本医学教育学会が誕生して「医学教育」を刊行したが、「国試雑感」(14(3), 173, 1983)を書いた。医師国家試験委員に任命されたときだった。
ライフ・サイエンス刊行の「PROGRESS IN MEDICINE」の特集「食塩と高血圧をめぐって」に「食塩と高血圧の疫学」(3(10), 1831-1837, 1983)を書いた。
毎日ライフの「脳卒中予防と治療」に「最近の傾向と地域の特徴--死亡者は減ったが、有病者は不変、そして脳梗塞は増加へ」(2, 16-20, 1984)、「脳出血と脳梗塞」に「なぜ脳出血が減り脳梗塞が増えたか」(1, 22-25, 1986)を書いた。
弘前で第49回日本民族衛生学会総会(会長佐々木直亮)が開催された時に総会号(民族衛生, 50, Jyly 1984)である。会長講演「疫学の論理」(pp14-15)が記録された。保健通信社刊行の「保健通信」に「第49回日本民族衛生学会総会」(337号, 20, 1984.6)を書いた。
医学書院刊行の「保健婦雑誌」に「循環器系疾患を表わす言葉についての研究」(仁平將、佐々木直亮)が掲載(40(2), 118-123,1984)された。
永井書店刊行の「綜合臨床」の特集「高血圧」に「ヒト高血圧発症のリスク因子」(33(2), 257-262, 1984)を書いた。「Health Tribune」(No.2 2-3, 1992)に再掲された。
弘前大学医学部第2外科同窓会誌の「三葉会会報」に「来賓祝辞II」(第27号, 33-34, 昭59)が記録された。停年近く総会に呼ばれて講演をしたことがあった。「疫学的な見方、考え方--衛生学の窓から」が記録(三葉会会報、29, 33-34, 昭61)された。
家政教育社刊行の「家庭科教育」に「食塩をめぐる問題」(59(9)7月臨時増刊, 121-129, 昭60)を書いた。
弘前大学医学部八戸の同窓会誌「はちのへ」に昭和59年度の総会へ招待された時の記事が記載(第16号, 2-4)された。
厚生省大臣官房総務課広報室編集厚生問題研究会発行の「厚生」に大井田隆君の勧めで「成人病の文化論的考察」(27-29, 昭60)を書いた。
「弘前市医師会報」には「ひろさき医師会報」といっていた時代から今日まで随筆など多く執筆掲載していただいた。1960年新年号には「NHKクイズ面白ゼミナ−ルのこと」が掲載されている。
保健同人社刊行の「暮らしと健康」から原稿依頼があり「高血圧の人は日常生活のこんな点に気をつける」(40(12), 30-31, 1985)を書いた。
永井書店刊行の「病態生理」に「高血圧状態の個人特性と塩類摂取との関連」(4(1), 67-69, 1985)を書いた。
韓国の大韓予防醫学會総会が開催されたとき南沢昇教授の世話で品川信良教授と共に招待され特別講演「Epidemiology and control of the hypertension in Japan」を行った。その記録が「豫防醫学会誌」(22(1), 8-13, 1989)に掲載された。「Sasaki」と姓を先にしたが、Referenceには「Naosuke Sasaki」と校正され印刷された。