2005年記録

20050101aisatsu  「新年ご挨拶」

あけましておめでとうございます 杉田玄白が耄耋独語(おいらくのひとりごと)を書いたと言われる歳を迎えました

20050120hatsu  初仕事

新年の挨拶に書いたように、「八十の足の痛み」は相変わらず、「どうにか年をこし」である。「痛み」という「自覚症状」は他人には分からず、

20050120shio  世界塩の旅追加 (青森県小泊村に塩の遺構)

20050125sugawara  菅原和夫君とのこと

 中路君から退官記念誌に何か書いていただけないでしょうかと電話があったので、 2005年の初仕事としておぼろげな記憶から書いておこうと思う。

20050201rokuon  記録:録音テ−プの記憶からDVDへ

高橋英次先生のあと教授になった頃に、教室の「備品」に何が必要かと話しあったことがあった。アメリカでは地域調査に「車」や「飛行機」というのがあり、とても出来ないと思った記憶がある。

20050214jiyuu  「自由」についての記憶から

 「自由・自由・自由」とアメリカ大統領が就任演説で45回も喋ったことが話題になっている。ライス国務長官がヨ−ロッパ各地を回り、その趣旨を喋っていると報道されている。

20050214itami  私の足の痛みについての記録

今日2005年2月12日の「八十の足」の痛みの記録を書いておこうと思う。

20050220gakusei  学生諸君へ書いたこと

私は弘前大学医学部で”衛生学”を担当する教員として一生の大半を送った。 教授になってようやく自分の考えを、言葉・文字で表現することができるようになったとの思いがある。

20050306haru  私の痛みの記録のつづきと大雪の記録

 整形外科再診の予約日(2005年2月22日)にタクシ−で大学病院へ行った。

200500312shio  世界塩の旅・追加(ベトナムの調味料)

20050313shoutenn 「笑点」の番組をみての記憶から

近く2000回を迎える「笑点」のTV番組をみての記憶を書いておこうと思う。

20040327jouhou  情報・情報についての記憶から

 「このごろ何かさわいでいますね!」 「わかりません、不明の至りで!」 と国会の予算委員会での質疑のTV中継をみていたら、こんな問答があった。

20050410voncl  「コンクラ−ベ」から考えること

 「コンクラ−ベ」と聞くと、「根比べ」を連想する。

20050424salt  「世界塩の旅」追加(古代エジプトの王妃の像とドイツの岩塩抗) (フランスとベルギ−のパン)

20050426tensai  天災はわすれないうちにやってくる

 寺田寅彦が「天災はわすれる頃にやてくる」とかいったのは、今思うとのんびりした時代だったと思う。

20050428seimei  生あるものは死を迎える

 大分前のことであるが、老人医学を勉強し始めた後輩から「如何に長生きさせるか」を研究しているのですと手紙をもらったことがあった。それに対して「老人は如何に死んでゆくかを考えているのです」と返事をしたことを思い出す。

20050503sakura  美しき五月に さくら満開

 「美しき五月に」は、「デイ・シェ−ネ・モナ−ト・マイ」のドイツリ−ドで、私のよく歌った曲だった。今五月になって弘前は1年で最も良い季節を迎える。

20050504sal  世界塩の旅・追加(高校講座・沖縄の塩)

20050520hihan  「批判の批判の論文」の記憶 「日本医事新報掲載論文」

日本医事新報掲載の論文のうち記憶に残るのもの一つである。 脳卒中の地域差と食生活との関係で一般にいわれ始めてきた「食塩過剰摂取説」に対して千葉大学の福田篤郎教授の「批判」の論文に対して、教授になりたての頃の私が「批判の批判の論文」を日本医事新報誌に投稿し、採用掲載された論文のことで、それにまつわる私の記憶を書いておこうと思う。

20050527apple  「りんごと健康」出版の記憶

 停年のときの挨拶に「」をもっていますと云って、自宅に「りんご健康科学研究所」と勝手に名前をつけましたが、初仕事として「りんごと健康」を第一出版から刊行したことについての記憶を書いておこうと思う。

20050531yonnde  「解説・現代健康句」を読んで  「人々と生活と」(写真集)印象記

解説・現代健康句」刊行のいきさつについては、「続・解説現代健康句、はしがきにかえて」に書いたが、初版千部が市販されたとき、多くの方々から「印象記」を戴いた。その中のいくつかを、ここに記録として掲載することを、お許し戴きたいと思う。

 昭和59年7月第49回日本民族衛生学会が弘前で開催された記念に、「人々と生活と」という「写真集」を関係者に配布したことがあった。 そのことについての随筆を前に日本医事新報に掲載したが、その時多くの方々から戴いた「感想文」を今読み返してみると、改めて有り難いことだと思うとともに、このまま埋もれてしまうのは何とも惜しい気がした。

20050607en  「縁は異なもの・・」の記憶から

「縁(えん)」というと仏教によく出てくる言葉を思い、「縁結び」は「神」で、「赤い糸に結ばれて」というと聖書に由来するということである。

20050612ball  「キャッチボ−ル」の記憶 (弘前市医師会報,303,23−24,平成17.10.27)

「キャッチボ−ル」は野球の第一歩といわれるが、小さいときから野球をやっていた自分にも思い出は多い。しかしここで書こうと思ったのは、野球の思い出ではない。

20050619salt  「世界塩の旅・追加」(シルクロ−ド敦煌・塩湖)

20050713kachi  「価値観」についての話題

 だだ何となく用いていた「価値観」という言葉について、最近聞いたニュ−スから3つの話題について書いておこうと思う。

20050717hogei  「捕鯨禁止」についての記事

つの頃からはつまびらかではないが、国際会議で「捕鯨禁止」」が話題になって、その論議がいつも理解されなかった記憶がある。

20050731fu  「数(かず)を数(かぞ)えるの話題」から

石原東京都知事が「フランス語では数(かず)の勘定ができず、国際語としては失格」とか言って告訴されたとか、「フランス語学習キッド」を贈られたとか、話題である。

20050806yasegaman  「立国は私なり 公に非ざるなり」のこと 弘前市医師会報,310,47−48,平成18.12.15)

 「立国は私なり。公に非ざるなり。」は福沢諭吉先生の「痩我慢の説」の冒頭に書かれている言葉である。このことについて書いておこうと思う。

20050815public 「public」(パブリック)のこと 弘前市医師会報,308,51−52,平成18.8.15

「public」(パブリック)を意識しだしたのはいつ頃であったのであろうか。

20050828akiyama  秋山房雄先生のこと

ご無沙汰し、お元気にしておられるかと思っていたら、日循協事務局からFAXが入った。 「日循協名誉会員秋山房雄先生(元東大医学部教授・元女子栄養大教授。享年92歳)が8月22日(月)14時02分、消化管出血のためご逝去されましたのでここに謹んでお知らせいたします」と。

20050828jouhou  情報・情報についての記憶のつづき

私の衛生の旅の中で「情報」という言葉をつかったのは、「生体情報としての血圧値」であった。丁度「言葉のもつ意味」を考え始めた時であったか。

20050828shio  世界塩の旅追加(クロアチアの中世のドウブロブニクの特産品ストン塩田)

20050902shio  世界塩の旅追加(フランス南部の塩田が観光の名所)

20050905itami  私の「八十の足」の痛みの記録のつづき

痛い痛いでまる一年」で過ごしてきた私の「八十の足」の痛みの記録のつづきを書いておこうと思う。

20051001rekishi  「歴史的認識」について考える (弘前市医師会報,309,26−27,平成18.10.15)

外交問題に、国会問答に、新聞・TVに、「歴史的認識」が問われている。

20051003salt  世界塩の旅・追加(海洋深層水から製塩)

20051023jibaku  自爆テロの構図について思うこと

イランの憲法草案の国民投票が始まった。いわゆる武装勢力によるといわれる自爆テロがつづいている。

20051101saigai  「地震・かみなり、火事・・・」について考えること

地球温暖化が進んだことと関係があるかは分からないが、このところ世界中で自然災害が多いような感じをもつ。情報が瞬時に伝わる世の中になったせいかとも思う。

20051130matome  12月になって 

12月の声を聞くと よく生きてきたものと思うと同時に この1年何があったかを考えさせることになる。

20051201note  私の小さいノ−ト

 ラジオの深夜便で、昭和はじめのころの歌として「勝太郎の島の娘」のあの高い細い声が耳に入ってきた。私が小学生時代に流行っていた歌だった。

20051222yuki  雪の記憶など

12月珍しくこの津軽に大雪が降った。「雪の記憶」を書いておこうと思った。

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