平成10年以降記録

971217 衛生学教室のアルバムから(その31) 0鵬桜会報,42,161-164,平成10.12.25.

980404 ストリップ第3話 0弘前市医師会報,259,59-60,平成10.6.15.

  「ストリップ」と題がつくと人の目にとまってよく読まれるようである。第3話というからには、第1話・第2話があり、今度がその第3話である。

980525 健康について 平成10年度弘前市婦人大学 弘前市立中央公民館(文化センタ−)大会議室

980531 弘前だより 0スプ−ル37,6-7,平成10.10.5

980601 石坂洋次郎のこと 0弘前市医師会報,260,86-87,平成10.8.15.

  石坂洋次郎の書いた「ストリップ・ショウ」の原文を読むことができた。前号「ストリップ第3話」の続編である。

981007 カンケイ 0弘前市医師会報,262,104,平成10.12.15.

 「カンケイ」という言葉から何を連想するのであろうか。 ビル・クリントンとモニカ・ルインスキイとの「不適切な関係」は最近のニュ−スである。

981007 カンケイ 0日本医事新報,3898,60-61,平成11.1.9.

   言葉、文字、そして意味にこだわって数年、今度の題もカタカナである。 「カンケイ」という言葉から何を連想するのであろうか。

981012 思い出のスナップショット 0弘前市医師会報,263,81-106,平成11.1.15.

981231 思うままに 0産業医学ジャ−ナル22,(2),69-71,平成11.3.

  随筆欄に”産業医学に関係のない面で、気のおもむくままに、ご自由に”という依頼ではあるが、私にとっては戦後勉強にもどった慶應義塾大学医学部衛生学公衆衛生学教室での研究のデビユ−が一酸化炭素中毒に関することであったので「産業医学へのノスタルジア」がある。

990101 追悼山形操六君

   平成11年1月1日 君は亡くなったという。 朝年賀状の中に君からのを見て、無事に年を送ったと思ったばかりだったのに。 ”六さん”と呼ばせてもらおう。頑張ったのに とうとういってしまったのか。

990307 食塩覚書その1”日本の塩の先生”推理 0弘前市医師会報,265,58-59,平成11.6.15.

  学会で勝木司馬之助先生(九大内科)にお会いしたとき、先生は国際学会からお帰りになったあとだったか、「”日本の塩の先生はどうしていますか”と聞かれましたよ」と笑いながら私に話かけられたことがあった。

990311 食塩覚書その2”栄養所要量10g以下の意味” 0弘前市医師会報,265,59,-62,平成11.6.15.

  わが国の食塩摂取に関する勧告値として、昭和54年度改正の日本人の栄養所要量として食塩について「当面の努力目標としては、食塩10g以下を適正摂取量とすることが望ましい」とされて以来、

990314 血圧論覚書 0弘前市医師会報,266.,72-73,平成11.8.15.

  私は「血圧論」を弘前医学(14,331-349,昭38.;.12.4.1961.受付)に発表した。 ここでいう血圧論とは人間の血圧をどのように考えるかについて、昭和29年以来東北地方住民の脳卒中ないし高血圧の予防を目的に展開された疫学的研究で得られた成果をもとに述べたものであるが、

990328 コレラのこと 0弘前市医師会報,264,84-87,平成11.4.15.

  「もしもいつか、あなたがイギリスのロンドンに行くことがあったら、John Snowの”Broad Street Pump”のあとを見に行くことをすすめたい」と医学生への「疫学的アプロ−チ」に書き、

990331 メッセ−ジ 0日本産業衛生学会70年史編集委員会:日本の産業保健−あゆみと展望

990404 わが家のだんご3兄弟

990418 ヒョウショウジョウ

990424 ゼツコン 0日本医事新報,3927,10,平成11.7.31.

  カタカナ題名のつづきである。 「ゼッコン」という言葉から何を連想するだろう。多分何も出てこないだろう。私が創った言葉だから。 「絶筆」ならぬ「ゼッコン」という意味である。

990422 食塩覚書その2追加 0弘前市医師会報,265,62,平成11.6.15.

  食塩覚書(栄養所要量10g以下の意味)をインタ−ネットに出したら早速阿部達夫・平田清文両先生からご連絡を戴いた。大事なことなので追加として書いておく。

990521 食塩覚書その3”新聞は何を伝えてきたか 0弘前市医師会報,266,70-72,平成11.8.15.

 食塩についての新聞記事というと、昭和34年の医学会総会のとき報道された記事のことが思い出される。

990524 こんなことがありました 0弘前市医師会報,266,74-76,平成11.8.15.

 この22日の土曜日(平成11年5月)医学部コミュニテイ−センタ−で開かれた鵬桜会の総会に出席して、

990525 平成11年度青森県あすなろ尚学院講義:生活習慣病とその対策:青森(5.25.)むつ(5.31.)弘前(6.21.)八戸(6.22.)五所川原(7.7.)十和田(7.21.)

990606 弘前だより 0スプ−ル,38,4,1999.

990629 医学を学ぶ諸君へ 弘前大学医学部講義「医学概論」プリント

990706 日本労働衛生史研究会への出題  (産衛誌,42,30,2000)

 三浦豊彦先生らがやっておられた日本労働衛生史研究会を仙台に帰られた加美山茂利先生が主催し平成11年9月19日開催されるとの記事をみたとき、その日付けを手帳に書き入れていた。面白い演題でもあったら久しぶりに仙台へ行ってもよいという気持からだった。

990801  思い出のスナップショット(その2) (第20回弘前市医師会作品展,平成11.12.13)

990819 北博正先生のこと

  北博正(きた・ひろまさ)先生が平成11年7月19日に肺炎のため病院で89歳で亡くなったことを新聞で知った。

990830  脳卒中覚書(名称と分類),  0弘前市医師会報,267,68-70,平成11.10.15.

 「ことば、文字、そしてその意味」として、私が経験した「脳卒中」を例として書き留めておく。「脳卒中」が今一般的に用いられているという立場からである。

990906 チャイルドシ−ト発想の転換

 チャイルドシ−トのデザインをみて、どうも納得いかないことがある。

990927 コホ−ト分析覚書 0弘前市医師会報,268,66−68,平成11.12.15.

  私がはじめて「cohort analysis」にふれたのは、教室で購入していたBrit.J.Prev.Soc.Med.10,159-171,1956.」にR.A.M.Caseが報告していた「Cohort analysis of mortality rates as an historical or narrative technique」の論文を見たとき以来である。

991005 学会こぼれ話(昭和40年5月弘前で開催された第35回日本衛生学会にて)

991008 リンリ・リンリ  0日本医事新報 3949,12,2000年(平成12年)1月1日

 「リンリ・リンリといって鈴虫でもあるまいし」と「医の倫理」を真面目に論議している方をバカにしたような言葉がいわれたことがあった

991010 思うままに(その2)  0弘前市医師会報,268,68−71,平成11.12.15.

 青森の野球場の建設が進んで遺跡が出てきたことを朝日新聞が一面トップで報道したことで(1994.7.16.夕刊)、がぜん有名になり注目された「三内丸山の遺跡」を見にいったことがあった。

991020 りんごと健康(青森県りんご対策協議会主催:平成11年度青森りんご報道記者等産地招待事業による講演:シテイ弘前ホテルにて)

991031 りんご覚書(1, 2, 3, 4, 5) 0弘前市医師会報,268,71−78,平成11.12.15.

先日久しぶりに青森県りんご対策協議会から「りんごと健康」の講演を頼まれて、平成11年10月19日夕、シテイ弘前ホテルでの「平成11年度青森りんご報道記者等招待事業」の中でマスコミ関係者十数名を前に喋った。

991105 りんご覚書(その6)  0弘前市医師会報,269,75−76,平成12.2.15.

  「林檎事始」は劇の題名である。生前ちょっとお目にかかったことのある久藤達郎先生作による劇である。

991116 「コス島」覚書 0弘前市医師会報,269,77−80,平成12.2.15.

  「衛生学の講義はコス島への旅から始まる」と書いたことがある。今回はその「コス島」についての記憶をたどってみたいと思う。

991208  「覚書」について 0弘前市医師会報,270,84−85,平成12.4.15.

 「覚書」シリ−ズを書いているのだが、ちょっと考えていることを書き留めておく。

991209  私がたばこをやめた日 0弘前市医師会報,270,85−86,平成12.4.15.

  私が「たばこをやめた日」は1965年(昭和40年)11月29日である。 アメリカでの在外研究の途次、立ち寄ったシカゴの衛生部

Y2K0101 西暦2000年 新年ご挨拶

20000117kousei 「厚生省はカルト集団」か 0弘前市医師会報,270,86−90.平成12.4.15.

  厚生省があたかも「カルト集団」かに受けとれる論説を新聞でみた。

20000127oinomori 「狼森」覚書  0弘前市医師会報,271,76−78,平成12.6.15.

 「狼森」「おおかみ」「もり」と書いて、「おいのもり」と土地の人はいう。「狼の森」「狼ノ森」と「の」や「ノ」が入ることもある。そして土地の人は「狼森部落」という。

20000130nishime 「西目」覚書  0弘前市医師会報,271,78−81,平成12.6.15.

 「西目」とは秋田県由利郡西目村(現西目町)のことである。 昭和32年7月8日秋田市で第6回東北6県地方公衆衛生学会が開催された時、

20000202kanaya 「金屋」覚書  0弘前市医師会報,271,81−83,平成12.6.15.

 「金屋」(かなや)とは青森県尾上町金屋のことであるが、弘前市狼森と秋田県西目村(現西目町)に次いで住民の血圧測定が約20年間観察出来た部落について記憶に残ることを記そうと思うが、

20000213kennkou  「健康」覚書  0弘前市医師会報,271,83−87,平成12.6.15.

 先に「厚生省はカルト集団か」について、主としてY氏の論説を中心に書いたのだが、その時書き残したことがある。

20000310aruhi ある日の会話から

 「テレビをみて 何を考えているの」「シドニ−への切符を誰が手にいれるかな 9分を切るかな」「でも2時間 オ−トバイの排気ガス吸入実験を見ているのは つらいな」

20000320aruhi2  ある日の会話から(2)

 「修がホ−ムペ−ジに出している”アイデア作品集”に 何かアイデアないかしら なんでもいってきてと いっているけど」

20000325mitsukoshi 私と三越

 テレビを見ていたら、買い物入れ袋の一方に「三越」が、もう一方に「高島屋」が印刷されていて、このライバルのデパ−トが一緒になったことが、昔のことを含めて放映されていた。

20000405tb  「結核」覚書 0弘前市医師会報,272,70−72,平成12.8.15.

 病は世につれ 世は病につれ」の中の「鳴いて 血をはく ほととぎす」で結核のことにふれたが、 私と結核についての覚書を書いておこうと思う。

20000410man  満州開拓修練に参加して 飛鳥,昭和15年掲載

  僕は学生義勇軍の一員として満州国北安省の二龍山特設修練農場にこの夏(昭和15年)二カ月送って来ました。

200000425jinntai  人体実験 0日本医事新報,3979,3,2000年(平成12年).7.29.

 「人体実験」とはあまり響きのよい言葉ではない。いつも医学あるいは医療を非難するときに多く用いられているようだ。

20000505synclo  ある日の会話から(3)

 「シンクロうまくなったわね」「シドニ−で期待されるはね」「あの鼻のクリップが気になるのだけれど」

20000505spur39  弘前だより(39) 0SPUR39,4−5,2000

20000514ringo  「インタ−ネットで”りんごと健康”の勉強をしよう」

 青森県りんご果樹課から「この5月14日日曜日に”りんごの花を讃える”つどいをやるので、その中で先生に”りんごと健康”のお話をして戴けないでしょうか」と電話があった。

20000518shinzou  「日本心臓財団」覚書 0弘前市医師会報,272,72−74,平成12.8.15.

 「日本心臓財団」が創立30周年を迎えるという。記念誌に寄稿をということであった。

20000522shio  「世界塩の旅」(写真集)

20000601aruhi  ある日の会話(4)

 「神の国から 天の声 紀元は二千六百年」「いよいよ解散 総選挙のようだね」「この(紀元は二千六百年)の意味の分かる人はもう少なくなったし (調子)をつけて歌える人も少なくなっただろうな」

20000610shinnseki  「親戚」覚書(写真集)

200815nikki  日記(My Life after the Surrender)1945-

20000625aruhi  ある日の会話(5)

 「あなたこの頃 変わったは 何を考えているのかわからない」「そうみえるかもしれないな 先日まで仕事の(覚書シリ−ズ)で昔のことを書いていたし 生まれた頃からの写真や親戚の写真を整理して入れたり 芭蕉ではないが (写真みて 夢は 昭和を かけめぐる)だからな」

20000630ll123hashigaki  手紙 わが青春の記録

20000702toyota  「豊田」の人々(写真集)

20000706eipart8  衛生の旅 Part 8(電子出版2000)

20000708uenohatsu  「上野発夜行列車」 弘前駅におりたときから 高橋教授をおくるときまで

20000714gakui  学位審査権獲得の頃 昭和31年教授になって

20000720car  自動車・テレビなど 昭和33年から36年頃

20000723s37  大学ネプタなど 昭和37年から40年にかけての頃

20000730nishime  西目村記念日(昭45.9.1.)における挨拶

  西目村とは現在秋田県由利郡西目町のことである。 昭和45年8月2日西目村池田課長から9月1日の西目村記念日に佐々木教授を表彰したいのだが、お出で願えるだろうかと電話があった

20000806ketsuatsu  シカゴの会への参加・自動血圧計の事など

  1966年アメリカのミネソタ大学に滞在していた時、シカゴで開催された”Meeting on objective recording of blood presssure”に参加したときのスナップがあった。

20000830tsugawa  津川武一先生のこと  0弘前市医師会報,273,64−65,平成12.10.15.

 「東北初の共産党代議士で、地方の医療、文学の発展にも尽くした故津川武一氏の記念碑(津川武一・生誕の地碑)が生誕九十年目の今年、浪岡町吉内の生家に建てられた」と東奥日報紙(平成12.8.12.)に報道された。

20000910ski  東医体スキ−で優勝したこと(昭和37年大鰐にて)

20001001shinario シナリオ 0弘前市医師会報,274,63−64.平成12.12.15.(一部日本医事新報,4002,11−12,平成13.1.6)

  シナリオとは英語でscenario、映画やテレビの各場面や、その順序、俳優のセリフ、動作などを記し、監督の演出の基礎となる台本・脚本・スクリプトとあった。

20001020omoide3 思い出のスナップショット(その3)

20001023aomori 青森県の脳卒中

 大学の図書館で「医療と社会」(17号,2000)を見ていたら、去日行われた第32回のセミナ−例会((20世紀の医療及び医学の回顧と反省)の記録が掲載されていた。

20001110rinngo 「りんごと健康」

 昭和61年に弘前大学を停年退官したあと、「りんごと健康」という本を第一出版から刊行した。

20001205takagi 高木先生のこと

  高木先生とは、私が英語の個人教授を受けたMr TAKAGIのことである。

20001220hawai 海外旅行へ(ハワイでの思い出)

20001225nishikaigan 海外旅行(その2 西海岸ロス・サンフランシスコなど)

20001228minesota  海外旅行(その3 ミネソタ大学のこと)

20001230mayo  海外旅行(その4 メイヨ−のこと)

20001231america 海外旅行(その5 アメリカ国内あれこれ)

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