衛生の旅 年代順 昭和30年−39年 1955年−64年
昭和 標題 掲載 Part −
30 われわれの生活からみた健康問題 弘前教育 p3 02
本日は高橋英次教授のお話のある予定でございましたが、ご都合がありまして私
30 総合的な立場から人間の姿を 弘前大学新聞 p3 03
この4月に京都で医学会総会が開かれたことは大抵の皆さんはご承知のことと思
30 お産・今昔 陸奥新報 p3 04
先日家内がお産をしたときの話です。
30 科学の世界に速断は禁物 朝日新聞 p1 22
先ごろ労働科学研究所の研究で、秋田県の農民はいかに早老であるか、その理由はなにか− これを岡山県と比較してみると、結局ははげしい労働によるもの
30 ワクチン禍に国家補償を 朝日新聞 p1 23
最近赤痢の予防ワクチンで大勢のお子さまたちが発熱されたと聞きました。私はこども二人を育て、 先日は上の子にジフテリアの、下の子には天然痘の予防接種をすませ
30 不安な「乳飲料」規格 朝日新聞 p1 24
あるところで牛乳をとるときに起こった問題です。
32 教室だより 日本公衆衛生学雑誌 p2 11
弘前大学医学部は昭和19年3月に青森医専として青森市にて発足、昭和22年に弘前市にその居をうつしてから昭和23年医科大学となり、昭和24年に弘前大学に包括さ
32 公衆衛生イロハ 弘前大学新聞 p3 07
イツ酸化炭素中毒というと個人衛生の問題といった方がよいかもしれない。でもこの方面の研究を長年やっている自分には、いの一番にあげたくなるのは人情であろう。
32 OVERCROWDING AND UNDERCROWDING 学友会誌 p3 08
この題名から受ける印象では、人が大勢部屋にいて空気が汚れるとか、温度の環境が悪くなるとかいう、近頃映画館などで問題になっているような内容をさしているのでは
32 流感・軽くかかる手はないものか 東奥日報 p3 09
軽くかかる手はないものか 今、はやっている流感を防ぐ手は何かないものかを考えてみたいのだが、この文を読まれる方は、まず伝染病がはやっているとき、発病しなかった人も大抵は病気にかか
32 保健所に医師はいらないか 東奥日報 p1 25
医師の初任給が四万、五万といって、それでも需要に応じきれない近頃、今度の給与改正によって保健所長が、本県では三等級におさえられたことは、本県の公衆衛生
33 食生活と高血圧−りんごで血圧を下げた実験 青森りんご通信 p3 28
近頃新聞紙上で、有名人が脳卒中や心臓病で亡くなられるのを、よくみかけるようである。事実わが国では、国民死亡の第1位は脳卒中であり、年に13万人位の人の死亡
33 食生活と高血圧−りんごは長寿のもとになるか 青森県のりんご p3 29
最近わが国民の寿命が50歳から60歳、さらに70歳近くなったからといって、自分もその仲間入りができるようになったと思っている方が沢山いるようである。これは平均寿
33 これからが勉強だ 紫苑(東北女子短大新聞)p3 31
3月に入って毎年きまって訪れるものに、卒業試験の採点、就職問題、結婚話、更に入学試験、そして謝恩会とくる。毎日の新聞にも就職難、入学難を報じ、新しく就
33 花田ミキさん 東奥日報 p2 21
女傑、保健婦の力を知らせてくれた人、看護のリ−ダ−シップをとり、行動し、しゃべり、書き、あんなにも影響力を与えた人はどんな方かしら、といわれているのであ
34 薪炭手当合理化についての基礎的研究(巻頭言) p1 43
5年前、私が東京からここ弘前大学医学部へ赴任することにきまったとき、皆から一様にいわれた挨拶は、”寒いところへ大変ですね”、ということだった。たしかにこ
34 リンゴジュ−スの砒素問題 東奥日報 p1 26
リンゴジュ−スにヒ素が検出されたといって、大分紙面をにぎわしたが、その解説の中に、あの程度のヒ素の濃度なら一度に千本も二千本ものまなけければ中毒にな
34 部屋の空気大切に−炭火中毒の話 東奥日報 p3 10
お正月早々、弘前市の中学生凍死事件があった。その原因は炭火中毒と思われる、という記事をみて、その死因を確定された法医学の赤石英教授のご苦労もさるこ
34 田植どきの保健 青森農業 p3 11
−−うまく休み、ご馳走をたべることです−−* 何故”ふけて”見えるのか 青森へきて美人が多いのにおどろき、その人の年をきいて、二度おどろいたという話があります。
34 日本人の死に方について 道標 p3 12
学生を前に「今日はこれから日本人の死に方について話します」と始めると、必ずド−とくるものだ。
34 りんごは長生きのもと りんご通信 p4 24
脳卒中、心臓病は高血圧に関係がある 世の中が落ち着いてくると人々は長生きのことを考えだすようだ。。
35 感じたままに 弘大医学部創立15周年記念誌 p3 32
医者になって、苦痛をもった患者を診療治療してその悩みを救った時、自分が医者となった感激を身にしみて感じるに違いない。何時間もの手術のあとその患者が
35 脳卒中の話 東奥日報 p4 08
脳卒中で死ぬ人が日本に多いのは問題だ。国民死亡の第1位である。その数は一年間にに14万人だ。一口に14万人といっても、ピンとこないが、ちょっとした市の人口
36 学内ゼミナ−ルによせて 1961年弘前大学祭p3 33
今年、昭和36年の夏には、全国の医学生や、看護学生の皆さんを青森県の八甲田、十和田、弘前へ迎えて、サマ−キャンプが開かれた。
36 保健医学研究会へ 保医研 p1 47
今話題になっていることに、医療制度の問題と医学教育の問題がある。 医療制度の問題とは、新聞紙上をにぎあわしているところでは、社会保険の点数
36 保健婦さんへ 会報 p1 48
保健婦、保健婦といわないで、保健婦さん、保健婦さんといいましょう。それは保健婦さんの仕事が世の中で重要だからであり、又保健婦さんが女性であるからです。
37 生活水準の向上とはなにか 農協あおもり p4 04
勤労農民の自主的な組織としての農協は、歴史的にみて、主として経済的活動を通して発展してきたといえる。 経済的活動のみが農民のためになるのであろうか。
38 疫学的な見方 教育公報 p2 22
ある学校での研究発表に次のようなのがありました。検便をやって寄生虫の蛔虫の卵の有無をしらべ、卵のある者とない者にわけ、これら二群の成績を比較したとこ
38 へきち校と学校保健 学校保健研究 p1 44
先日青森県の第17回学校保健大会が、三戸町・田子町・南部町を会場に開かれたとき、”くま”と”WHOの健康観”が話題になりました。
39 「あたった」話 日本医事新報 p1 06
たばこ屋の前に立って、ほしいたばこをゆびさして、「ケ」と一言いえば、たばこが手に入る、いたって便利なここ東北地方に、「あたった」といえば、そのものズバリ話が通じる病気のあることは、あまり全国には知られていない。
39 学校保健にもっとお金を 学校保健研究 p1 45
オリンピックはおわった。今回は建物のオリンピックといわれた。記念切手のデザインにそれがうかがわれる。また通信のオリンピックともいわれた。TVが全世界に同
39 日々随観・人間と健康 東奥日報 p1 30
(昭和39年2月5日から11日に亘って東奥日報紙上に掲載)
39 「あたった」話 東奥日報 p1 31
先日津軽のユ−モアの中に、「どサ」「ゆサ」というゆかいな例が紹介されていた。「どこへゆく?」「おゆへゆくよ」の意味をあらわすことばとして、まことにゆかいな話だ。
39 かすった話 東奥日報 p1 32
「あたって」死にはしなかったが「かすって」半身不随になっている人が、全国で30万、青森県内に約1万人はいるという。そのうち3分の1は、他人の厄介にならなければ生きていけない人。
39 こたつと高血圧 東奥日報 p1 33
だいぶ前、「高血圧の多いこたつ生活」という見出しで、私たちの研究が新聞に発表になったことがあった。
39 冷蔵庫と高血圧 東奥日報 p1 34
冷蔵庫と高血圧。このとりあわせをどう読みとってくれるだろう。「冷蔵庫は冷えるからね」「冷たいね」「血圧に悪いに違いないよ」これなら前回書いた「こたつと高血圧」でいったことの繰り返しになる。
39 りんごと高血圧 東奥日報 p1 35
話は10年前にさかのぼる。 昭和29年8月19日、私たち一行は、弘前市近郊の狼森部落へ血圧測定に行った。狼森は、健康部落として世の注目を浴びていたところ。科学的なメスを入れようとの
39 長生きのひけつ 東奥日報 p1 36
最近女の人の平均寿命が70歳の壁を破ったという。おめでたい話だ。 人生わずか50年といったのは今は昔、人生70年という。こんな記事を見て、自分も
39 予言者 日本医事新報 p1 07
本州の北のはずれ、下北半島のマサカリの刃にあたるところに大間という町がある。最近函館と一時間半で結ぶフェ−リ−ボ−トができたことでニュ−スになった。
39 生活と高血圧 共同通信社 p4 09
(昭和39年4月共同通信によって新聞紙上に掲載された) 「高血圧」といわれたら、血圧を測ってもらい「あなたは高血圧ですね」といわれた時、どうしたらよいだろう。
39 私の日曜日 スキ−に行こう 夏はヨットへ 弘大医学部新聞 p1 52
弘前に住むようになって早10年、私には日曜日がある気がしない。あるのは日々である。一面毎日が日曜日のような気もするのである。
39 夏季保健福祉活動の教育的意義 県政のあゆみ p2 17
社会医学とは、予防及び治療の、科学的基礎と個人的並びに集団的適用とを、人間の健康はその生活状態と相互関係にあるという見地から取り扱ってゆく学問である−
衛生の旅 年代順 昭和40年−49年 1965年−74年
昭和 標題 掲載紙 Part−
40 もっと長生きするために 新しい老人像 p3 13
私には今年数えで80歳になる父と、75歳になる母がおり、二人とも元気で田舎で暮らしています。この両親にもっと長生きしてもらいたい気持ちでこの文を書いてみた
40 日本人の寿命は戦後短くなった 医学界新聞 p1 37
ミスプリントではない。 日本人の寿命が、戦後急激にのび、女子では70歳の壁をやぶった。これには乳児死亡、結核死亡の減少あずかっている。これは世の中の常識であろう。そしてどこでも引用される文句だ。
40 火災警報 日本医事新報 p1 08
火災警報について、一寸考えてみた。 近くの消防本部にきいてみたところ、湿度が40%以下、また最大風速が7メ−トルをこえるみこみのとき火災警報が出されるとのことであった。
40 熱意 日本医事新報 p1 09
もう日数もたったことなので、名前をあげても失礼にはならないと思うし、又ゆるして戴けると思う。
40 大蔵省献立は高血圧型 朝日新聞 p1 27
先日の大蔵省発表”献立表”を新聞でみて、時計の針が、十年か二十年逆もどりしたのではないかとおどろいた。
40 ヨット部報へ 溟風 p1 50
ヨットはスポ−ツのうちで、頭脳的で、自然の力をうまくつかい、一寸貴族的で、、一寸金がかかって(これはこまるな)きれいな空気をすって、太陽をあびて、誠に健康的であることが気にいりました。
41 アメリカ人の衣食住 ふりかえり前にすすむために p3 14
昭和40年の9月から41年5月まで、アメリカのミネソタ大学公衆衛生学部生理衛生学研究室に留学し、8月に帰国した。この機会にアメリカ・ヨ−ロッパ各地をくまなく歩
42 ”オ−テル” 日本医事新報 p1 10
”オ−テル”をつくるとしたら人が大勢ゆききする空港とか、タ−ミナルとかセントラルの停車場のようなところがよい。
42 Dr.Dahlとの出会い 公衆衛生 p1 02
1959年1月29日付で、私はDr.Dahlから次のような手紙を受け取った。それは、私が彼の仕事に興味をもち、東北地方における高血圧と食塩摂取についての私の論文の別刷りを送ったことに対するお礼の手紙であった。
42 Dr.Meneelyとマンモスとタイガ−と 公衆衛生 p1 03
Dr.Meneely のことはあまり日本には知られていない。彼はまだ日本に来たことはないし、論文の数も多いとはいえない。ただ私がかって高血圧とりんごの関係に興味をもち、文献をあさりはじめたとき、彼の慢性食塩中毒の実験を知り、それに対するK
42 Gate27と鍵とKeys先生 公衆衛生 p1 04
1965年9月24日、私はミネソタ州ミネアポリスの飛行場についた。 ミネソタという言葉はそのまま通じるにしても、ミネアポリスと棒よみにしては絶対に通じないのである。ポリス・ポリスといえば、policeのところにつれていかれる。
43 農村をめぐる精神衛生 こころの衛生 p3 15
司会:衛生学の佐々木先生から健康の問題ということについてお話いただきたいと思います。 佐々木:私の専門は医学の中でも衛生学なのでありますが、ここに掲げました題の”農村における精神衛生”ということになりますと素人でございます。ただ私なりに
43 健康随想1−7 青銀会会報 p1 38
最近手元に一冊の本がとどいた。 題は”社会医学への入門”。 著者は老年医学会総会へ招待されたことのあるイギリスの社会医学のマッキ−オン 教授である。
43 ロンドンの名所 公衆衛生 p1 05
アメリカをはなれるすこし前、私はロンドンのJ.N.Morris(Uses of Epidemiologyの著者)から、次のような手紙を受け取っていた。
43 コス島への旅 公衆衛生 p1 01
ギリシャの空は雲ひとつなく晴れ、エ−ゲ海はどこまでもあおく、船はエンジンの音をひびかせながら、静かな海を南へと下っていった。そばには白いヨットが進み、はげ山のような島をつぎつぎとあとにしていった。この船はアテネの外港のピレウスを
43 予算の獲得 日本医事新報 p1 11
一国の総理大臣が癌で亡くなったから、癌の予算が大幅にふえたという話がある。 今度の総理は循環器系の病気で入院したから、こちらの予算がふえるのではないかといったことが、まことしやかに伝えら
43 ひとことふたこと 北灯 p2 20
久し振りに女文字の手紙が来た、と思ってあけたら、何と原稿の依頼でした。昨年はプロフィ−ルに紹介されただけですんだのに、今年は「諸君、衛生統計だけではなく、?を聞こうではないか!」というつもり
43 観光地の条件 日本医事新報 p1 12
観光地についての必須の条件は、世界でただ一つのものがそこにある、ということである。 どこにもある、ここにもあるというものであってはいけない。そこにしかないものがあり、できれば、何回みてもよい、といったものでありたい。
43 ”芽生え”へ 派遣保健婦文集 p3 34
昨日青森で開かれた衛生部職員研究集会に行って来ました。助言者として呼ばれたのですが、皆さんの仲間の何人かの方におめにかかりました。その時私が発言したことを書き留めておきたいと思いま
44 中血圧 日本医事新報 p1 13
「高血圧があがると、脳卒中をおこすから危険です」とテレビで解説がありました。 翌日 「低血圧も悪いです」と別の先生の話がありました。 それをみていた中学2年の子供がいいました。
44 乳児ダイヤモンド論 日本医事新報 p1 14
おとなりの岩手県の努力に先をこされたかっこうになって、日本一乳児死亡率が高いということになった青森県ではあるが、、医師会が提唱して始められた「あかちゃん会議」も第4回を迎え、今年は県内の僻
44 脳出血と風土:なぜ東北地方に多いのか Clinician p3 19
ヒポクラテスは、ある土地に住む人の生活の影響が病気の原因になることを経験的に認めていたといわれる。宇宙船にでものったつもりで、地球上の人々をながめ直して
45 A LETTER TO ”GUINEA PIGS”日本医事新報 p1 15
”人をモルモットあつかいにして”とは、最近よく聞かれる言葉である。医学に対する不信のあらわれであり、ジャ−ナリズムはそれをあおるかのように書きたてる。 一体、患者と医師との信頼関係はどこにいってしまうのであろうか。
45 塩と血圧を解剖する 1−15 東奥日報 p3 29
(昭和45年7月 東奥日報紙上に連載)1)東北に多い”あたり” 日本人は高血圧民族2)文明人ほど塩をとる 未開人に少ない高血圧 3)最低5グラム(1日)必要? 不要なものは尿で排泄4)−15)
45 あたり・高血圧・食塩・りんご 学園だより p2 23
ある大学受験案内の雑誌に「弘前大学医学部には、循環器・高血圧・ガンの研究で権威者が多く、とくに脳卒中研究の権威佐々木教授が有名」と書いてあった。
45 青森県における保健福祉活動 農村保健活動のすいしん p3 35
青森県には昭和33年から県国保連合会の世話ではじめられた医学生受け入れによる夏季保健福祉活動というのがある 基本的な考え方として次のように述べられている。
45 欠陥車では・・ある事故を推理する 毎日新聞 p1 28
バスを待つ幼稚園児の列に、トラックがとびこんだという悲惨な事故がまたおこった。十日ひるのニュ−スによると、前の車が実際には左折したのに、右折するとの判断をあやまって、あわててハンドルをきりそこね、列の中にとびこんだと説明されていた。
45 ストリップ 実験治療 p1 53
数年前、北九州のある駅についたとき、「まずストリップへご案内したい」という出迎えを受けたのである。 土地柄か、と失礼ながら頭をかすめたものがあった。
45 HIROSAKI JAPAN 鵬桜会報 p1 54
15年前弘前へきたての頃、友人から”秋田県”弘前市という手紙を受け取ったときには驚いた。鉄道管理局区内ではあるまいし、秋田県ではありませんと返事を出したら、次に”北海道”弘前市と書いてきたのにはいささかまいったという思い出がある。
46 保医研へよせて 保医研 p1 47
今話題になっていることに、医療制度の問題と医学教育の問題がある。 医療制度の問題とは、新聞紙上をにぎあわしているところでは、社会保険の点数なり、医療費の検討であるようにみえるが、これは表面的なもので、その根底には、過去
46 食塩と高血圧 月刊健康 p4 14
食塩は食生活に一体必要なものでしょうか? むかし上杉謙信が武田信玄に塩を贈った話とか、戦時中塩がなかった頃の思い出が頭にあって、塩が食生活に欠くことのできないものだということに、とらわれすぎてはいないかというのです。
47 日本列島慢性食塩中毒論 毎日新聞 p1 29
田中角栄著「日本列島改造論」をよみ、改造のための懇談会委員の顔ぶれをみて、日本人の健康問題はどこで論じられるのかと思うのである。専門家の意見をきいて、どしどし実行してもらいたいものだ。
47 ”ケツ”と”ゴク” いずみ p1 55
”ケツ”といい、”ゴク”といわれて、その言葉のもつ意味がすぐびんとわかる人は、今の日本にはいないのではなかろうか。 それがイギリスのお嬢さんの口からとび出した言葉であったから心にのこっているのである。
47 弘前だより(スキ−) SUPUR p1 49
”SPUR””シュプ−ル”とは良い題をつけたものだと思う。昭和34年3月、橋本功・花田雅寧・松谷善吉の諸君が編集者になって第1号を出してから早や10数年、ここに第10号を出すことになったのは喜びである。
48 高血圧風土記 NHK p2 49
佐々木直亮さんのご専門は衛生学、東北地方を中心とする高血圧や脳卒中の疫学的研究で知られた方です。東北地方に多い、働き盛りの人の脳卒中の原因を追究しているうちに浮かびあがってきた、寒さと食塩の問題、病気の背後にある、生活や文化とのつながりなどについてお話していただくものです。
48 魂をうる学生 日本医事新報 p1 16
最近のできごとで、いわば恥をさらすことになるのだが、一般的な問題としてとらえて戴きたい。
48 けっさく ひろさき医師会報 p1 56
近頃の読み物の中での傑作は、ひろさき医師会報の”女医訪問シリ−ズ”である。 こんなに筆の立つ人がわが弘前市医師会員の中におられるとは心強いかぎりである。この文章を書いている段階では、筆者が誰かを知らないので、心おきなく筆がすすむのだが。
48 健康のしくみ・とくに食習慣との関連について 報告書 p3 16
(昭和48.8.29.東日本学校給食研究集会特別講演より) このような記念すべき会に、特別講演の機会を与えられまして、大変その責任の重大なことを感じているわけです。
48 スキ−とゴルフ ひろさき医師会報 p1 57
”休診の札をかかげてスキ−行き” 今年の東医体のスキ−大会が野沢温泉スキ−場で開かれ弘大医スキ−部長の私も参加したが、日影ゲレンデに立ったときみた碑にきざまれていた句である。
48 秋田ゴルフ行 ひろさき医師会報 p1 58
”秋田ゆき ちょっと 遠足の気分なり” さすがゴルフマン、朝7時24分弘前発急行しらゆきにおくれる人なく、一同グリ−ン車へ。 ”今日買う週刊誌 皆ゴルフばかり”
48 衛生学私は何故現在の科目を選んだのか 日本医事新報(ジュニア−)p1 59
物心ついたとき、慶應義塾の幼稚舎へ入っていた。普通部へ進みさらに大学への道をあゆむときが、第一の選択の時期であった。すなわち、”経済”へ進むか、”医学”か
48 高血圧と遺伝 日本短波放送 p4 10
高血圧と遺伝について日頃考えていることをお話ししたいと思います。
49 長生きへの道・5つの教え 東奥日報 p1 39
人間というものはとかく勝手なもので、若い時は気ままに生活し、いくらか先がみえてくると、長生きを求めるようである。今の生活の仕方に反省が必要な方はこんな記事は読まないし、もう十分長生きしたような方が読むのではないだろうか。
49 風土と健康 弘大公開講座テキストp3 17
(昭和49年8月22日三沢市で行われた昭和49年度弘前大学公開講座テキスト) 日本の、とくに東北地方の青森に住む人々の健康像を、過去から現在までの時代の変遷をおいながらながめ、将来への展望をしたい。
49 りんごと高血圧 メヂカルトリビュ−ンp4 25
リンゴと高血圧との関係、リンゴを日常食べていることは、血圧水準を正常に保ち、高血圧発生の予防になるのではないか、と考えたのは今から20年前のことである。
衛生の旅 年代順 昭和50年−59年 1975年−84年
昭和 標題 掲載紙 Part-
50 知識と行動 教師は生徒の前でたばこをすうな 学校保健研究p1 46
学校保健では”身についた知識”ということがいわれる。そして健康生活についての知識は、知識として頭の中にあるだけでなく、実践として行動にあらわれなければならない。
50 NI-HON-SAN STUDYによせて 心臓 p1 51
昨年(1974年)3月東京で開かれたWHOの会議(Meeting on the control of hypertension and stroke in the community)に出席したときのことであった。
50 高血圧と食塩との関係 日本医事新報 p3 21
「答」 原著の初版が出たのは、1970年である。丁度ロンドンでの第6回世界心臓学会議によばれて行った時に発売されたので、購入して読んだことを思い出す。
50 血圧と米飯等の関係 日本医事新報 p3 22
「問」 血圧と米飯ならびに食塩摂取量との関係について(東京K生) 「答」 この一見簡単な質問に答えることは容易なことではない。
50 日本人は食塩を摂りすぎている 毎日ライフ p2 50
この見出しの文句は、去る昭和49年度の毎日学術奨励賞が、日本学術会議からの推薦によって、われわれの教室の「日本における高血圧の疫学的研究」に与えられた時、毎日新聞の紹介の記事に出たものである。
50 尻にしかれたた相良治安 日本医事新報 p1 17
相良知安は、日本における医学教育・医療制度を考える上で、忘れることのできない人物であると思う。 その人の記念碑が、今や看学の寄宿舎の尻にしかれたように立っているというのがこの小文のテ−マである。
50 佐藤四郎先生のこと 尽くして倦まじ p2 14
先生が、弘前市医師会の副会長になられたのが、丁度私が教授になったのとほぼ同じ頃であったこともあってか、色々の会合でお会いするようになった。
50 疫学的アプロ−チ 日本医事新報(ジュニア−)p1 67
もしもいつか、あなたがイギリスのロンドンに行くことがあったら、John Snowの”Broad Street Pump”のあとを、見に行くことをすすめたい。
51 マラソンとオ−トバイの前走 日本医事新報 p1 18
マラソン流行の世の中である。昔学生時代、日吉から信濃町までマラソンのクラス対抗をやったことを思い出す。
51 奥羽本線の記 青森県医師会報 p1 60
秋田地方に雨が降って洪水になり、奥羽本線「飯詰 ・後三年間不通」と掲示がでたとき、それをみた人があわてて「あと三年間不通」と読んで驚いたという話を聞いたことがある。
51 冬三題 ひろさき医師会報 p1 62
青森での生活は、冬をぬかしては考えられない。 20年一寸前、弘前で暮らすようになって、その冬への用意を、雪のきえかかる春の5月から、始めなければならないのには驚いた。
51 日本人の高血圧と食塩 月刊健康 p3 23
2年後の1978年に、東京のホテル・ニュ−オ−タニで第8回世界心臓学会が開かれることになっており、世界から数千名のその道の専門家が来日する。日本人の高血圧もあらためて問題になることだろう。何故日本人は脳卒中で死ぬのであろうかと。
51 沖縄行 青森県医師会報 p1 61
夏になると沖縄の海を思い出す。 昨年9月厚生大臣や環境庁長官のあとをおうように、厚生省の仕事で1週間沖縄の島々をまわったのである。
51 新しい名前がほしい 公衆衛生 p1 66
「公衆衛生」のあゆみ 言葉は生き物である。名前がつくと歩き出す。衛生100年、厚生40年、そして公衆衛生は30年。
52 大学と医師会 ひろさき医師会 p1 63
大学と医師会・医師会と大学と、どちらを先にしたらよいかな、外国語で書けばどうなるかを考えてみたり、順序にこだわるわけではないけれど、大学に身をおく身ということで、標題のように書いたのであるが、医師会の一員として、いつも心にかかることであり、これが将来どうあったらよいかが、本日のテ−マである。
52 ”ドライ”また良し 湿度と健康 東奥日報 p1 40
日本を離れて外国へ旅行すると、空気が極めて乾燥していることに気がつく。
52 日本人の食事とカリウム摂取 カリウム異常診療の実際 p4 26
金属元素でKと記号されているカリウムの名前はpotassiumといわれますが、これはすなわちpotは桶、ashは灰で、それに金属元素としてのiumがついた言葉で、灰化した植物から得られることから由来しているといわれております。
53 ”コホ−ト分析”によせて 学友会誌 p4 05
”コホ−ト分析”ということばが、医師国家試験の中に登場するようになった。 昭和48年の4月には、原語でcohortと、52年の4月には、コホ−ト分析とでていたが、われわれが、このことに関心をもつようになってからかれこれ20年にもなる。
53 昔の写真をお見せします ひろさき医師会報 p2 18
夏になると、医学生いうところの「カキカツ」が始まる。夏季保健活動をさすのだが、国保連の世話で、医学生、最近では保健婦学生を、町村に受け入れての保健活動を始めたのが、昭和33年なので、今年ですでに21年、これに参加した学生も数百名になった。
53 ”ちゅうぎ”考 月刊健康 p1 41
「ちゅうぎ」にはいろいろなエピソ−ドがある。 今は90歳をこした工藤祐司先生が書かれた「ちゅうぎ」考という題の小文を新聞紙上で拝見してからもう10年たってしまった。
53 米食民族と高血圧(対談:小町) 短波放送 p4 12
佐々木:きょうは、米食民族と高血圧というテ−マで、小町嘉男先生(大阪府成人病センタ−集検第1部長)と対談することになりましたが、
54 ウイリアム・テルのリンゴ 日本医事新報 p1 19
数千年もの間、人々とのかかわりをもってきた食塩のとりすぎが、この地球上に住む人々の高血圧と関係があるのではないかとの説が、極めて有力になってきた今日この
54 エコ− 日本医事新報 p1 20
英語が達者のある友人に、「最近外国でこういう仕事が発表されている」といったら、即座に彼は「あれは先生の−仕事の−エコ−ですよ」と答えた。なるほで”エコ−”という言葉をそのように使うのか、と感心したのだが、自分の仕事を認めてくれた彼の言葉は嬉しかった。
54 「リハビリ」に思う 黎明郷だより p1 42
昭和36年11月20日、東京の日本医師会館で、寿命学研究会主催、日本医師会後援で、「脳卒中の予防・治療およびリハビリテ−ション」のシンポシウムが行われたが、この日が、わが国の脳卒中についての「リハビリテ−ション」という言葉が用いられた最初の日ではなかったかと思っている。
54 はやけ 日本医事新報 p1 21
”はやけ”といのは、弓を射るときにつく癖の一つである。
54 男と女 北灯 p1 64
たしか、「男性からみて職業婦人をどうみるか」といった題を与えられた−−−授業の終わりに−−−、北灯への原稿をたのまれたときに−−−と記憶しているのだが
54 百七十六歳のマ−ジャン 白菊会のしおり p1 65
「父が三井物産にいたこともあって、上海からわが家にパイがもち込まれたのは、昭和のはじめ、私が小学校5,6年の頃だった。象牙と竹の立派なもので、今も健在である。
54 石郷岡正男先生のスナップ 石郷岡先生を偲ぶ p2 13
弘前大学医学部衛生学教室には、今はもう90冊に近くなった写真アルバムがある。その中で、石郷岡先生のをひろってみた。
54 日本と西欧の脳卒中 総合臨床 p1 69
”日本と西欧の脳卒中”という題で、今日の論壇に執筆を依頼されたとき、まず頭にうかんだことは、昨53年9月に東京で開催された第8回世界心臓学会のことであった。
54 ”コホ−ト分析”によせて 日本医事新報(ジュニア−)p1 68
”コホ−ト分析”という言葉が、医師国家試験の問題の中に登場するようになった。 昭和48年の4月に初めて原語の”cohort”分析がでた。52年4月には”コ−ホ−ト”分析と出ていたが、53年4月と10月には”cohort study”として出ていた。
54 日本人の食塩摂取はどうあるべきか(対談:平田)臨床栄養 p4 15
平田清文(東邦大医内科):日本人の栄養所要量は5年ごとに改正されるのですが、今、昭和55年の日本人の栄養所要量を改正すべく検討が行われているところです。
55 保健婦さんとのつながり ふりかえり前にすすむために p2 19
昭和29年の春に、弘前大学助教授として着任してすぐ、「シビ・ガッチャキ」の口角炎の調査と血圧測定に、青森と秋田県内の各地をまわったので、保健婦さんには、その時以来お世話になったものと思う。
55 「飛鳥」のことなど 慶應義塾幼稚舎同窓会報 p2 02
久保田武男先生の教えを受けたわれわれの会の名前は、すぐ「飛鳥会」にきまった。それは先生が歴史の時間に、熱情をもって語られた聖徳太子、法隆寺のでてくる飛鳥時代のことが、皆の頭にあったからだ。
55 北海道で運河を掘る 日本医事新報 p2 05
昭和16年頃、北海道の太平洋側の苫小牧と日本海側の石狩とを結ぶ運河の計画があった。戦時色豊かな時である。札幌から一寸南へ下がった島松の近くの小屋に寝泊まりして、将来は大運河の一部になると聞いていた排水溝の土掘りをしたのである。
55 古賀康八郎先生の思い出 弘大婦人科同窓会誌 p2 16
一人かけ 又一人かけ 一人かけ 弘前大学医学部の初代の教授が、時のすぎゆくと共に亡くなられてゆくことは、自然のなりゆきとはいえ、さびしいことである。
55 健康随想・冬 学園だより p2 41
弘前に生まれ育った人は、ここの冬を、冬の生活をどのように考えているのであろか。とくに”健康”とのむすびつきにおいて。
56 弘前からご挨拶 青森県医師会報 p2 25
”フランクリン、山口百恵、そして教授の誕生日” 教室での昼飯のとき、クイズ番組をみながら”一寸、フランクリンの誕生日を知っているかい”と口をはさんだ。
56 脳卒中 東奥日報 p4 11
遺伝と環境の両方が重なる ボンとあたる、ビシッとあたるという言葉がこの地方にあります。それだけで話が通じるというのは、若く、元気で働きざかりの方に脳卒中がおこって、死んでいった、そんな例を身近にみることがあったためと思います。
56 疫学の論理(巻頭言) 民族衛生 p4 2
疫学の立場から論議のすじみち、といったことを考えてみたい。 こんな考え方をもつに至ったことをふり返ってみると、それは疫学という言葉が、まだ一般になじみのなかった昭和30年代のはじめの頃にさかのぼる。
56 キャネル夫人のこと 日本医事新報 p2 26
フレミンガム・スタデイのキャネル夫妻が、秋田から弘前にやってきた。 「東北地方を訪問して」という座談会の記事をごらんになった方も多いと思うが、脳卒中が多くみられる東北地方の状況を肌で知ってもらおうと、籏野脩一先生が計画された旅行の一部だった。
56 干支の酉年の男より 弘前市医師会誌 p2 15
”年男を対象に選んでみました”と青森県医師会報への原稿依頼がきて、”弘前からご挨拶”、という題で小文を書き終えたら、今度は”来年は先生の干支の酉年です”
56 塩の文化と血圧 月刊健康 p2 51
ここに”塩の話あれこれ”という日本専売公社広報課発行の面白い本がある。ただその前書きをみて、考えこんでしまった。
56 勉強、勉強、食べるものもなく勉強 Medical Tribune p2 07
卒業以来、”駆け出したまま”の気持でいるとき、ふと”駆け出し時代”を思い出させることになってしまった。 昭和18年9月卒業という年は、”学窓から軍隊へ”という時代であった。
56 柳川昇先生の思い出 遺稿集 p2 24
柳川昇先生にお目にかかり、直接お話をするようになったのは、先生が弘前大学学長になられ、私が大学の評議員になって以来のことである。
56 ”OIRAKU”のユニホ−ム 弘前市医師会報 p2 12
”教授だけで野球チ−ムができそうな位に若がえった感じがします。今後の発展を祈ります”と乾杯の音頭をとった。
56 息子からの手紙 日本医事新報 p2 29
ザルツブルグで音楽修行中の息子から手紙がきた。 いつもなら、宛名は私であっても、内容は家内とのやりとりなのに、めずらしく私宛のものであった。
56 専門課程へ進学した諸君へ 専1スペシアル p3 37
去る3月23日の朝のテレビに放映された一寸した会話が、私にとっては印象的であったので、このことを諸君につたえておきたいと思う。
56 ”成人病”の由来 日本医事新報 p2 43
近頃では成人病というと、何となくわかったような気になるのだが、一体いつ頃から”成人病”という言葉が使われるようになったのか。
57 ヨ−ロッパ塩の旅 日本医事新報 p2 30
昨56年の夏、ヨ−ロッパへ”塩の旅”をすることができた。 音楽祭でにぎわうザルツブルグは”塩の城”であり、ザルツアッハ河に沿って、昔塩の取引にさかえたところという、
57 科学者の目 弘前市医師会報 p2 27
槇哲夫先生が弘前大学医学部におられた頃だから、もう20年以上も前のことなのだが、ある日、十和田湖へおともをしていった時のことが今も記憶にあたらしい。
57 一冊の本「実験医学序説」 Medical Companion p2 06
学生時代は、比較的乱読であった、と思う。夏目漱石、寺田寅彦、西田幾太郎、ロシア文学、そしてキュ−リ−夫人伝などの伝記物、福沢諭吉の新女大学等々。
57 幼稚舎と綱町 仔馬 p2 01
おふねは ぎっちらこ ぎっちらこ ぎっちらこ と口ずさむと、三田の山の下にあった幼稚舎の二階の音楽室で、グランドピアノの前に、ちょこんとすわってピアノをひいておられた江澤清太郎先生を思い出す。
57 ”高血圧”アンケ−トに答えて 医学祭プリント p3 24
1.高血圧研究のなかで思うこと 日本の東北地方に”あたり”といわれている脳卒中の本場にきて、その研究にとりくんで30年近くたってしまった。
57 日本人の高血圧症(座談:家森ほか)短波放送 p4 13
(昭和57年6月16日日本短波放送から放送された)九野周一(東京・四谷内科院長):私どもが高血圧およびその合併症の診断・治療ないし管理に使用いたします知識は、国内ばかりでなく、国外の研究成果にも基づいて提供されております。
57 食塩と高血圧(座談:五島・尾前) 食塩と高血圧 p4 16
五島雄一郎(司会・東海大学内科教授・附属病院長):今日は、最近の高血圧の話題を、食塩を中心としてお2人の先生からおうかがいしたいと思います。
57 大鳥蘭三郎先生のこと 記念文集 p2 04
兄がやっていたこともあって、幼稚舎から普通部へ上がったとき、綱町の道場をのぞきにいって、弓術部に入ることになった。
57 県褒賞を受けて 青森県医師会報 p2 35
昭和29年に弘前大学医学部に着任したとき、全学をあげて取り組んでいたテ−マは「シビ・ガッチャキ症」であった。
57 オクサン マイニチ 日本医事新報 p2 34
”百聞は一見にしかず”とは、モスクワでの1週間の結論である。 6月20日から26日まで開かれた第9回世界心臓学会から帰って、緑陰随筆の〆切を知って、急いで筆をとった。
57 青森県における健康づくり 公衆衛生大会収録集 p2 45
青森県における健康づくりということで話せとご指名を受けたわけでございますが、ちょうど昭和29年に弘前へまいりまして約30年近くたってしまいました。
57 健康面からみた食塩文化論 東日本公衆栄養学会 p3 25
人々の健康問題について、それと関連のある要因としての栄養が注目されたことは、”医学”の研究の歴史の中でいくつかあったことが知られている。
58 世界塩の旅 弘大キャンパス・ジャ−ナルp2 31
昨年の夏は、ボ−ナスをはたいて、モスクワへ行ってきた。第9回世界心臓学会へ参加するためである。
58 食塩は一日にどのくらいとればよいか 減塩食 p4 17
今でこそ少なくなりましたが、昔は塩をなめながら酒を飲むとか、漬け物と味噌汁だけで、ご飯を何杯もおかわりするという姿をよく見かけたものです。
58 子供と食塩 減塩食 p4 18
昔の「おふくろの味」は塩分過剰 俗に「おふくろの味」という言葉があります。子供のときにいつも食べていた母親の手料理の味が、どうしても忘れられない、懐かしいという気持ちが、こんな言葉を生みだしたのでしょう。
58 一つのテ−マ 弘前市医師会報 p2 36
あまり身近のことを書くと、すぐあれは誰か、とつい詮索してしまうものだが、一般的なテ−マとして受け取って戴ければ幸いである。それと具体的に書かないと、その背景がわからないから、ややくわしく述べさせて戴く。
58 東京温泉物語 日本医事新報 p2 39
女の三助が肩を流してくれる相だ、といううわさにつられて、終戦後東京駅の構内に誕生した東京温泉にかよいはじめて、30年近くたってしまった。
58 まばたき30年 東北公衛30年のあゆみ p2 40
東北地方公衆衛生学会といったり、北海道・東北七県といったり、東北六県といったりしているうちに、東北公衆衛生学会におちついたが、
58 味気のない話 日本医事新報 p2 32
「味気のない」という言葉が、「とてもすばらしい」という意味にとられるような日がくるであろうか、とくに塩味について。
58 再び青森県成人病対策協議会委員になって 青森県医師会報 p2 44
はじめて青森県成人病対策協議会ができて委員の委嘱を受けたのが昭和38年12月。
58 衛生の旅1&2 医学生ゼミニュ−ス p2 42
青森は、その名のごとく自然にめぐまれ、八甲田山あり、十和田湖あり、又弘前市にはお城もあって、昔の日本がまだある。
58 草間良男先生のこと 日本医事新報 p2 08
全く偶然のことから、草間良男先生(慶應義塾大学名誉教授)の生前の肉声をテ−プから聞くことができた。内容は未発表のものとのことであった。
58 「国試」雑感 医学教育 p2 38
国試の採点に、コンピュ−タ−が採用になった年に、国試の委員になって会議にでたところ、それにともなういろいろな問題が全く検討されることなく、採点だけをコンピュ−タ−にまかせることになっていることを聞いて驚いた。
58 小松富三男教授のスナップ第1号 退官記念誌 p2 10
小松富三男先生のスナップをはじめてとったのはいつ頃だったろうと思いながら、アルバムをめくってみたら、この写真がでてきた。
59 入学生に贈る言葉 ’84新歓 p3 38
「入学生に贈る言葉」は、去りゆく人に「贈る言葉」のようにうたの文句にはならないが、「医学部入学」という目標を達成した諸君に、まず入学おめでとうという次第である。
59 ストリップ第二話 日本医事新報 p2 33
以前に”ストリップ”という題で小文を書いたとき、題が題だけによく読まれたようだ。 ストリップといっても、何も裸になるという意味だけではない。
59 高血圧と食塩(対談:中村) 臨床のあゆみ p4 19
中村治雄(防衛医科大学校第一内科教授):りんごをよく食べているところではあまり血圧の高い人はいないと先生は指摘されておられます。それと食塩との間には密接な関係があると思いますが、一体何がヒントであったのでしょうか。
59 どんな食べ方で塩が入るか 生活教育 p3 26
古い読者の方は覚えておられるかもしれないが、昭和43年の「生活教育」に石垣純二先生が、脳卒中予防の保健活動という文章の中で、「血圧は迷信にとりかこまれている」ことを書いていた。
59 続・科学者の目 弘前市医師会報 p2 28
2年前、十和田湖畔の休屋にある高村光太郎作の乙女の像の”足のかかと”について、槇哲夫先生が科学者としてのするどい観察をされたことをテ−マに書いたことがあった。
59 再び保医研の諸君へ 保医研 p3 36
私の「衛生の旅」には、保医研の諸君に向けて書いた小文の記録がある。 昭和36年 「保健医学研究会へ」 昭和46年 「保医研によせて」 昭和50年 「保医研の真髄」
59 疫学の論理 民族衛生 p2 46
”疫学の論理”と題した講演の内容は、”疫学(Epidemiology)”の定義をのべようとするものではなく、”疫学的研究”と標榜する研究の一例としてわれわれが行ってきた研究を示すことによって、疫学的研究の考えのみちすじを述べてみたいと思う。
59 美甘先生のこと 追悼美甘義夫 p2 37
父と子ぐらいに年が違い、学校も、医学の中の専門も違うのに、よくお付き合いいただいたものだと思う。
59 久保田重孝先生のこと 久保田重孝 p2 09
久保田重孝先生は、私が生まれた大正10年に慶應義塾幼稚舎を御卒業になり、普通部、医学部と進まれたので、同じようにあとを追った私にとって、先生は小学校以来の大先輩ということになる。
59 弓術部と共に 四矢会誌 p2 03
先日NHKのクイズ面白ゼミナ−ルに「りんごと健康」についてのレクチャ−をたのまれたが、その時は30年間かかった仕事を”2分半”にまとめろということだった。 今回は”400字以内”というのだが、普通部から医学部卒業までのつきあいだから思い出は沢山ありすぎる。
59 来賓祝辞 三葉会会報 p4 34
佐々木直亮でございます。本来ならば、医学部長、或いは病院長の役職のある者が祝辞を述べるべきところだと思うんございますが、
衛生の旅 年代順 昭和60年−平成6年 1985年−1994年
昭和 標題 掲載紙 Part-
60 人々と生活と 日本医事新報 p2 47
第49回日本民族衛生学会総会が弘前で開催されることになった記念に、「人々と生活と」と題した写真集をつくって参加された方々にお土産にさしあげた。
60 「NHKクイズ面白ゼミナ−ル」のこと 弘前市医師会報 p2 48
クイズ番組花ざかりの今日この頃、まだかなりの高視聴率であるという「クイズ面白ゼミナ−ル」に、”りんごと健康”についてのレクチャ−に出演したことの裏話を、いささか古い話ではあるが、記録として書き残すことにする。
60 成人病の文化論的考察 厚生 p2 52
わが国において「成人病」という言葉は昭和32年2月15日に第1回成人病予防対策協議連絡会が開かれて以来公に用いられるようになった。
60 お祝いの言葉 たちばな p4 35
ご紹介いただきましたが、弘前大学医学部の衛生の佐々木と申します。大和田国夫君と私とは同級生で、また衛生学・公衆衛生学を専攻したので、一緒なんですが、私よりも彼の方が苦労したらしくて、・・・
60 ミニスピ−チ・りんごと健康 85りんご花まつり p3 30
先日NHKのクイズ面白ゼミナ−ルでは2分30秒のレクチャ−をやりましたが、今日は5分間のミニスピ−チをやらせて戴きます。
60 ヒポクラテスに聞いてくれ 日本医事新報 p3 40
衛生学の講義はコス島への旅から始まる。 1966年7月31日私は篠田秀男先輩についで2番目に日本人医師としてギリシャのコス島を訪れたことになっているのだが(ヒポクラテスの会の記録による)、
60 元気で長生きできる工夫 ATV p3 41
人は随分長生きするようになった。 ただ長生きだけではしようがない。 元気で長生きするにはどうしたらよいか。
60 高血圧の人は日常生活のこんな点に気をつける 暮しと健康 p3 27
血圧が高いといわれたからといって、すぐに病気と思いこむのは禁物です。血圧は人間のもつ「生体情報」だからです。したがって、できるだけ正確に自分の血圧の状態を知ることが大切です。
60 近ごろ嬉しかった話 学友会誌 p4 36
3年生衛生学最終の試験の時だった。 定刻5分前に問題の紙をかかえて医学部講堂へ入った時、私を待ち構えていたのは、巻紙を持った一戸紀孝君と赤いバラの花束を持った宮崎恵子さんだった。
61 あっと驚いた話 日本医事新報 p3 01
弘前から青森への汽車の中で、「弘前大学を停年で退官するときに書く随筆の題は、もう決まっている」と、友人の教授に話したことがあった。それが今回のテ−マである。
61 ”活年”はいかが 弘前市医師会報 p3 43
先日厚生省から50-60歳代にかけての中高年齢層を表現するのにふさわしい新名称は「実年(じつねん)」と決定したと報道された。
61 疫学的な見方、考え方「衛生学の窓から」三葉会会報 p4 06
ご紹介戴きました佐々木直亮です。記念すべき時に呼んでいただき、たぶん定年が近いためだろうと考えていますが、たいへん光栄に存じます。 今日は疫学的な見方、考え方という題をつけさせてたが、
61 あっという間の30年 学園だより p3 44
編集委員の中村幸夫君が久しぶりに教授室にやってきた。 ”退官”の特集を組むので、何か書いて下さいとのことであった。
61 研究うらばなし 鵬桜会報 p3 45
山口先生どうもありがとうございます。今日はたいへん出席がよいようで・・・この一言に実はいろいろな意味があるのでございまして、
61 巻頭言 弘前市医師会報 p3 46
弘前大学医学部を停年になり現役から退くので、弘前市医師会員からも身を引こうと届け出をだしたのだが、巻頭言を書かされるはめになってしまった。
61 健康問題のつかみ方 毎日ライフ p3 18
癌が死因の第1位になり、心臓病が脳卒中を追い抜いて第2位になったという。 これがどのような意味をもっているのであろう。
61 ド−ル先生その後 日本医事新報 p3 42
勝木司馬之助先生によると、私のことを外国では「日本の塩の先生」といっているそうだ。 そういわれるきっかけは、アメリカの塩の先生のド−ル先生との出会いがあったか
61 あの頃の話 小鹿病院40周年記念誌 p3 05
十年一昔というが、東京医大卒の小鹿整四郎先生が三沢に来られてから40年というから大分昔のことである。
61 昭和32年という年 弘道 p3 06
昭和32年という年は、弘前大学医学部30年史によると、4月1日には医学部7回生の入学者の発表があり、30年4月医進入学の56名と文理学部2年修了の者で試験による20名、計76名を迎えた年であった。
61 弘前のこと 塾友 p3 39
おしん、澪つくし、いのちと、時代をおってドラマがつづいたが、今回のいのちの舞台の中心が津軽の弘前である。
61 りんごの効用 青森県農協健康集会 p4 27
私は弘前に参りましてから30余年になりますが、弘前大学の医学部で、りんごと健康とのつながりに興味をもって研究して参りました。
62 停年退官のあと 日本医事新報 p3 47
停年(弘前大学規定による65歳)になると、そのあと何をするのかが、関心のまとになるらしい。
62 ゆかりさんのこと p4 37
「拝啓 初夏の候、皆様方には益々御健勝の事とお慶び申し上げます。 私こと・・・」 86年5月21日付けのこんな文面の横書きタイプの挨拶状をもらったのが最後になってしまった。
62 新春随想:東北のこと 公衆衛生情報みやぎ p3 48
東京生まれの人間が東北地方の弘前に住むようになって、あっという間に33年たってしまった。 小さい時佐々木家の紋は丸に縦三本と教えられていたが、伊達家の家紋に一つにこの紋がある。
62 禁煙車より喫煙車設けたら 毎日新聞 p4 28
日航が禁煙席を50%にして場所を前の方にするという。ようやく国際レベルになったものといえよう。 「禁煙席」ではなく「喫煙席」をつくったらどうか。
62 喫煙車の提唱 健康ハ−ト p4 29
毎日新聞のみんなの広場(昭和62年3月25日付)に「禁煙車より喫煙車設けたら」の私の投書がのったら、この健康ハ−ト欄にも書いてとの注文である。
62 たばことがん 若い人は注意を 毎日新聞 p4 30
こう頭がん・肺がんをはじめ、あらゆるがんのリスクファクタ−(危険因子)として、たばこ喫煙が関係していることは、いまや医学の常識となった。そんな知識をもっている者からみると、最近の有名人の死亡は残念でならない。
62 愛煙家の方へ p4 31
私が「たばことがん 若い人は注意を」の中でのべたことについて、8月5日付毎日新聞本欄にあったように愛煙家の方に不安を与えたことは意外でした。
62 常磐村の保健活動のはしり 十周年記念誌 p4 32
それは私が弘前大学医学部衛生学の教授になって間もない昭和32年であった。 医学部の衛生学の教育では、教室での講義実習のほかに、学生の自由研究をやっていた。
62 思い出すこと 三二三会卒後30周年記念誌 p4 33
いつだったか吉田豊教授がクラス会ででた話を教えてくれたことがあった。 それは私の「医事法制」の講義をただ一人聞いてくれた方の話だった。 ああそんなことがありましたね。
62 思い浮かぶこと 弘大短大30周年記念誌 p4 38
いつだったか大分前のことになるのだが、品川信良教授らと、看護大学のような構想を話しあったことがあった。
62 保健文化賞を受賞して 第一生命業績 p4 41
今回青森県から大高道也環境保健部長の推薦により「脳卒中・高血圧予防についての疫学的研究と地域住民の保健活動の推進に貢献」ということで保健文化賞を受賞したことは有り難いことであった。
62 日本人はどのようにして塩分を減らしてきたか(座談:香川・渡辺)栄養と料理
p4 20
塩分摂取−−過去・現在・未来 そもそもの発端から食生活との関係が判明するまで「栄養と料理」編集部:日本で塩分摂取が医学的に問題にされ始めたのはいつごろからでしょうか。
62 満開の桜 月刊健康 p4 42
弘前公園の桜を見るとしたら朝がよい。 夜桜の花見客が残していった酒の香はあるものの、すっかり清掃された公園の桜を見にくる人は、朝の公園のよさを知っている人たちである。
62 食塩をめぐる人々 日本医事新報 p4 21
西野忠次郎先生らの「脳溢血」の中で衛生学的研究をやられた近藤正二先生は、日本中を足で歩いて「長寿」の要因として食生活の重要性を述べ、お米の大食が食塩の過剰摂取をもたらすことを指摘されたことでも知られている。
63 長寿県・短命県の解釈をめぐって p4 03
厚生省から平均寿命や訂正死亡率が発表されると、いつももっともらしい解説がされる。
63 今こそ発想の転換を 疫学による予防医学へ p4 01
最近の医学の進歩は臨床医学と基礎医学に負うことが多いことは、周知のことであろう。
63 ベネフィット・ファクタ− 日本医事新報 p4 07
リスク・ファクタ−という言葉がよく用いられるようになった。
63 マラソンに前走はいらない 毎日新聞 p4 40
マラソンにオ−トバイの前走はいらない,まるで排ガスの中毒実験をやっているようではないか、と医学雑誌に指摘してから十数年たった。陸連のドクタ−たちはどう考えているのであろうか。
63 品川教授のこと 退官記念誌 p4 39
品川信良教授のことで”はりの先のような意見をいう”ことが話題になったことがあった。
63 食塩0の朝食 日本医事新報 p4 23
自分の学問に忠実に生活するために、できるだけ低塩を心がけているのだが、食塩0の朝食を紹介しよう。
63 塩(しお)は体に悪いというけれど 月刊健康 p4 22
正月(昭和63年)に日本医事新報をみていたら、古中久敬(こなかひさよし)とう先生が、「老医の嘆き」という随筆を書いておられるのが目にとまった。
63 はしがき p5 01
衛生の旅 Part 4 を出したら、Part 5 を期待していますと礼状がきた。
63 久米の清ちゃん p5 02
アメリカに住んでいる久米の清(せい)ちゃんから衛生の旅 Part 4 が届いたと返事がきた。
63 音の暴力 p5 03
「国会・外国公館等周辺地域の静穏保持法」が成立したと報道された。
63 新聞報道のおそろしさ p5 04
国鉄がJRになって初めての大きな交通事故が報道された。 12月6日の東京・東中野駅構内での追突事故である。
63 朝のひととき p5 05
うっすらと積もった早朝の雪道を歩いていたら、後ろから追い抜くように歩いてきた学生が、‘おはようございます’と声をかけてきた。
63 レストランにて p5 06
「弘前市内のうまいものを食べにいきませんか」とおさそいをうけた。
63 排気ガス p5 07
朝のすがすがしい空気をすいながら雪道をあるいてちょっと大通りにでたら、次々とつづく自動車に追い抜かれた。排気ガスを浴びせかけられて。
63 雪道を歩きながら考えた p5 08
ひさぶりに夏目漱石の草枕の初めの言葉が話題になった。
63 花が咲いた p5 09
「わ− 綺麗な人がいるわね」 これが女子大生が帰ったあとの家内の一言であった。その場では言わなかったけれど。
63 水曜会の忘年会 p5 10
「先生は何も知らないんですね」 「先生のような方が学部長だ学長になるから大学はだめになるんです。医学部の定員が百人になりました。どうです私の言った通りでしょう」
63 すそかぜの話 p5 11
朝お尻が暖かいトイレに座って用をたしていたら,ふと亡くなった母が弘前にきたとき言った言葉が思い出された.
63 年の暮れ p5 12
朝新聞を広げたら第1面は内閣改造のニュ−スであったが、第3面に捨子に名前が付けられたという写真入りの記事が掲載されていた。
64 オイゲン・ヨ−フムの遺産 p5 37
「オイゲン・ヨ―フムの遺産」とは、指揮者オイゲン・ヨ―フムの死去に際してNHKがTVで放映した番組の題名だが、日本での公演の録画放送があった。
64 文明化とは食塩化 p5 13
「文明化は食塩化ということである」とTVのインタ−ビュウに応えてしゃべったことがあった。
64 Double income four kids p5 14
ここ何年か年賀状を出していない言い訳を言わして戴ければこんな理由からである。
H1 しばらくぶりで p5 15
一日一考の記録がこの二か月あまり全くとどこうってしまった。 理由は昭和から平成の時代の変わり目にあまりにも情報が多すぎたことによる。
H1 がん告知 p5 16
「医師のがん告知」意見二分、賛成37%、反対40%と今朝の朝日新聞のトップに報道された。
H1 美しき五月に p5 17
「あの弘前の藤田別邸の庭で、先生は”美しき五月に”を歌いましたね」と話かけられた。 青森から弘前への電車のなかであった。
H1 短命県をなくそうキャンペ−ン p5 18
せっかくの機会ですので、今日は「ベネフィットファクタ−」についてお話したいと思います。
H1 時差ぼけ p5 19
ようやく時差ぼけがなおったようだ。 アメリカから帰国後頭のほうはすぐ適応して、翌日から講義や仕事をしたのだけれど、
H1 キイ−のこと p5 20
論文に key words をつけるようになってしばらくたつが、一般の新聞などにもキイ−ワ−ドなどという言葉がつかわれるようになった。
H1 ワシントンにて(第1夜) p5 21
サンフランシスコからワシントンへの直行便は混んでいた。
H1 ワシントンにて (学会のこと) p5 22
今回の学会は第2回国際心臓学会( 2nd International Conference on Preventive Cardiology)で、会長はスタムラー(Jeremiah Stamler)であった。
H1 学会のことつづき p5 23
この国際学会もアメリカの心臓学会の疫学の会の年次集会もかねていたので、ある面ではアメリカの学会の性格もあった。英語がことのほか幅をきかせていたし、彼らにとっては国内のせいもあってか、ご夫人同伴は比較的少なかったようだ。
H1 ニュ−ヨ−クにて p5 24
久しぶりにニュ−ヨ−クを見たいと思ってワシントンでの学会のあと2日ばかりよることにした。
H1 塩少々 p5 25
料理の時、いつも塩少々加えましてという。 何故なのであろうか。 こんな疑問をもちはじめてだいぶ時間がたってしまった。
H1 革命記念日に p5 26
福沢諭吉先生の学問のすゝめの始めに、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」とありますが、”いえり”と書いているところをみると、この言葉は先生のオリジナルではありませんね、といった方がいた。
H1 夏の汗 p5 27
朝はやく東京の相沢豊三先生に所用があってお電話したら、いま外出中ですとのことであった。ゴルフの早朝練習にお出掛けであった。
H1 税 p5 28
明日は参議院の選挙日である。 論争のテーマの一つに消費税がある。 全面廃止が叫ばれ、自民党は見直し論を掲げている。
H1 塩と民族 p5 29
貴稿掲載ということで送られてきた日本医事新報の緑陰随筆(Civilization is saltization)を読み返していたら、ミネソタで世界中の塩と血圧の文献について検討した結果についてセミナ−で報告したことや、
H1 「A」か「Λ」か p5 30
近ごろTVをみているとローマ字の表示に、「A」とあるはずなのに「Λ」と表示してあるCMが目だつようになった。
H1 癌についての公衆衛生学的問題点 p5 31
日本人の死因別死亡率の順位の第1位が、昭和26年以来結核から脳卒中にとって変わり、死亡の絶対数が年々増加の傾向にあったとき、
H1 うまみについて p5 32
グルメブ−ムとかいって、食に関する話題がTV・新聞・雑誌に出ることが多い今日このごろであるが、
H1 3分間スピ−チ p5 33
卒業30周年おめでとうございます。 懐かしい顔、顔ばかりでちょっと涙がでそうになりました。
H1 三毛蘭寿郎のこと p5 34
前に久米の清ちゃんからの手紙に突如ミケランジェロのことがでてきたことについて、あとで説明しなければならないと書いたことがあったが、今日はそのことについて書き留めておきたい。
H1 山下廣蔵さん p5 35
「山下廣蔵さんがちょと具合いが悪くなって、入院したほうがよいだろうということで今救急車で入院しました」と長男の章から電話があった。
H1 はや年の暮れ p5 36
山下さんが亡くなってはや1週間たった。彼は私と同じ大正十年生まれの68歳であった。
H1 続・満開の桜 県民と健康 p6 14
私のまとめた「衛生の旅」がパ−ト4になって、その中の「満開の桜」には心を打たれました。先生がいつもいっておられた「人が生まれてどのように死んでいくのか」のお考えを加えて、この機関誌に原稿としてお書きいただけないでしょうか、
H1 Civilization is saltization 日本医事新報 p5 38
「文明化とは食塩化ということである」とTVのインタ−ビュ−に応えてしゃべったことがあった。
H1 今、健康問題とは 民族衛生(巻頭言) p5 43
今、あらためて健康問題は何なのかを考えてみたい。
H2 スパイクタイヤ禁止に反対 p5 49
スパイクタイヤ禁止、そのうえ罰則まであるという法律が検討されるという。 この法案をつくった人は冬道で車を運転したことのない人だと思う。
H2 スパイクタイヤ考 p5 50
1月10日付毎日新聞のみんなの広場に私の「スパイクタイヤ禁止に反対」の投書がのったら、たちまち反論がでてきた。
H2 水は生活の基礎 グラフ青森 p6 36
本誌:「私たちの名水」認定にあたっての経過みたいなものからお聞かせください。佐々木:昭和60年度から4回続いたわけですね。
H2 C君へ p6 10
ニュ-ジ-ランドへの旅よかったことでしょう 林知己夫先生の「目立つ疫学の誤用」の記事(日経2・2・21)、早速図書館で見ました。
H2 クラス会記念事業 日本医事新報 p5 39
卒業後四十年もすぎるとクラス会を毎年でもやろうではないかとなり、同級生がいる台北とかアメリカでもやることにもなった。また二十年、三十年、四十年と家族入りのアルバムをつくったりした。
H2 WHOの高血圧の定義 p6 08
WHOの高血圧の定義というのがまかり通っている。 これに対して「WHOの高血圧の定義」などない、というのがこの文の主旨である。
H2 翻訳の問題 日本医事新報 p5 40
日本の首相の発言が相手国の人を著しく傷つけたことが問題になったことがあった。 「知識水準が低い」と言ったことであった。
H2 福田邦三先生の思い出 p5 44
私の「衛生の旅」を先生にお送りしたとき、大正大地震で地面がゆれたのが、兄と一緒に外で遊んでいた私の、この世での最初の記憶にのこるできごとで、と書いたことが先生の目にとまったようで、次のようなお手紙を戴いた。
H2 山本耕一先生の思い出 p5 45
ちょうど鵬桜会報の「衛生学教室のアルバムから」の原稿を書いているとき、「山本先生がお亡くなりになりました」と電話を戴いた。
H2 福沢先生の医に贈る書について 弘前市医師会報 p5 46
福沢先生というのは福沢諭吉のことであるが、私が慶応義塾出身だから、幼稚舎という小学校に入学いらい福沢諭吉は先生である。
H2 杉田玄白の耄耋独語について p5 47
前に「活年(カツネン)はいかが」という文を弘前市医師会報(182号,昭61)に書いたたことがあった。
H3 3Kの看護婦さんへ 弘前市医師会報 p6 37
高等看護学院の謝恩会へよばれたとき、最近若い人にきらわれる3K(きつい・汚い・危険)の仕事があるという話がでた。わたしなら、3Kはと頭にうかんだことを書き留めた。これからの若い看護婦さんへ捧げたいと思う。
H3 槇哲夫先生への返事 p6 41
小文(外胚葉芸術論)がお目にとまったようで嬉しく、また数々の貴重な資料お送り下さいまして本当に有難うございました。
H3 産業医学へのノスタルジヤ p5 48
「来年の秋田での東北地方会は50回を迎えるそうですが、今までに何回参加したかを考えていたところです」
H3 「インフォ−ムド」という言葉 日本医事新報 p5 41
インフォ−ムド・コンセントが話題になる世の中である。この言葉の本当の意味は何であろうか。言葉にはそれぞれの言葉を生んだ人々の文化を抜きにしては本当のことはわからない。
H3 外胚葉芸術論 日本医事新報 p5 42
年をとって変なことを言ったり書いたりすると「あいつはぼけた」と言われそうだが、本誌をかりて書き留めておきたい。
H3 専門バカの話 月刊健康 p6 6
月刊「健康」とは「食塩と高血圧」(12/'71)を寄稿して以来のおつきあいだが、専門以外の博学の文章にぶつかって勉強になることが多い。
H3 近況など p6 3
せっかく卒後25周年記念のクラス会にご案内を戴きながら欠席する失礼おゆるし下さい。
H3 リンゴ摂取は高血圧の予防になるか?医学のあゆみ p6 2
「リンゴ摂取は高血圧予防になるか?」というテ−マで原稿依頼があった理由を考えてみると、最近「りんごと健康」という著者の本が出版され、また「生活条件と血圧、とくに食塩過剰摂取地域におけるりんご摂取の血圧調節の意義について」という題の論文が出たことによると思われる。
H3 健康サミット p6 20
これから健康サミットを開催しますが、私はコ−デイネタ− の佐々木直亮です。
H3 「山田信男先生の退任を慰労する会」でのお祝いの言葉 弘前市医師会報
p6 30
「村民の健康を守り続けて四十四年」 この間先生が挨拶状に書かれていたように「喜びも悲しみも幾歳月」であったと思いますが、お元気でこの日を迎えられ、また本日は相馬村第1号の名誉村民の称号を受けられたこと本当におめでとうございました。
H4 年があけて p6 13
「旧ソ連 新は決まらず 年の暮れ」と平成三年を送った年の暮れをまとめた。
H4 SALVEO 日本医事新報 p6 04
SALVEOとは去る十月神戸で開かれたWHOフォ−ラム'91で配られたWHO-CARDIAC STUDY(循環器疾患と栄養国際共同研究)のセンタ−から新しく発刊されることになった情報誌の題名である。
H4 弔詞(成田尹) p6 29
成田君 君の弔詞を私が読もうとは順序が逆です
H4 大統領からくじらまで 弘前市医師会報 p6 15
この題は心臓病予防の父・ホワイト博士(Paul Dudley White: My life and medicine)の自叙伝を日本心臓財団設立十周年記念事業の一つとして翻訳・出版したときの本につけられたものである。
H4 武田壌寿先生のこと 退官記念誌 p6 31
「弘前へきてまもなく、夫婦で初めて、佐々木先生のお宅(若党町アパ−ト)を訪問した時に、二人そろって写してもらったものが結婚式をあげなかった二人のその年の唯一つの記念写真となった」
H4 HMGゴルフコンペの記録 弘前市医師会報 p6 40
HMGゴルフコンペの5月例会で津軽CCのコ−スを回っていた時佐藤雄治先生から話かけられた。
H4 評論家の功罪 日本医事新報 p6 11
医学部教授の友人が「縦書きの方が横書き印刷の方より同じことを書いても原稿料が高いんですよ」と云っていた。
H4 挨拶 七期会だより p6 05
佐々木直亮です。(拍手)私は今大変興奮状態にあります。(笑い)その理由を説明してご挨拶に代えたいと思います。
H4 コロトコフ 弘前市医師会報 p6 09
「コロトコフ」とは聴診法による血圧測定のとき聞いている血管音について初めて報告した人のことである。
H5 「衛生」をめぐる人々 弘前市医師会報 p6 24
東京医科歯科大の北博正教授が衛生学の試験に「ペッテンコ−フェル」について記せという題を出したら、ある学生がその答えに「北教授の大先輩」と書いたそうだ。
H5 「疫学者」の立場 日本医事新報 p6 12
前回「評論家の功罪」で功も多いが罪もあるのではないかと書いたのだが、今日は評論家のように「疫学者」の立場を述べてみたい。
H5 いきいき健康 RAB-TV p6 21
青森県の健康推進課提供の「いきいき健康」のテレビ番組も今日が最終回になりましたが、今までの11回の番組をみまして、青森県内で色々活動していることがよく分かりました。
H5 シャボン玉 飛ばそ 弘前市医師会報 p6 16
「野口雨情の世界を歌う」森進一というテレビ番組が放映された。 そしてイントロは「シャボン玉」であった。
H5 津軽に学ぶ−りんごと食塩と健康 東北連合三田会 p6 01
ご紹介戴きました佐々木直亮(ささきなおすけ)です。 本日は東北連合三田会の記念講演の機会が与えられましたが、「津軽に学ぶ」という題でお話をしたいと思います。
H5 いつまでも元気でいたい 月刊弘前 p6 23
人生にもしもこうだったらということはないにしても、田中角栄元首相が脳こうそくにならなかったら、また近くはソニ−の盛田昭夫会長が脳内出血で入院されなかったら、世の中はどのように変わっていたのであろうかと思うことがある。
H5 朱塗のお椀とお盆 不二会五十周年記念誌 p6 42
卒業五十周年ということで義塾から招待状がきたので日吉で行われた慶應義塾大学の卒業式に行ってみた。
H5 柴田学園のこと 七十年記念誌 p6 38
随分長い間柴田学園にはお世話になってきたものだと思う。 弘前大学に赴任してきた昭和二十九年は丁度東北女子短期大学に生活科が増設された年で、
H5 第1回物語 弘前市医師会報 p6 39
何事も第1回の事初めは意義があるものだと思う。 それもその会が1回だけで終わりにならないでその後何回も継続される場合には歴史的意味をもってくる。
H5 少塩のすすめ 月刊健康 p6 07
わが国最古の医学書といわれる「医心方」の養生篇に 「少思、少念、少欲、少事、少語、少笑、少愁、少楽、少喜、少怒、少好、少悪」とある
H5 新衛会の記録 40周年記念誌 p6 26
昭和63年5月徳島大の西山敬太郎教授から「新衛会記録作成のために」という連絡を戴いた時に手元にあった資料を改めて見てみた。
H5 「民族衛生」のこと 民族衛生 p6 25
佐々木直亮:名前のことが今日のテ−マのようですが、結論から申しますと、「民族衛生」という名前はそのままで私はいいのではないかと思います。
H5 健康句 弘前市医師会報 p6 22
この度「解説・現代健康句」を津軽書房から刊行した。 「健康句」というのは私の創作した言葉であるが、はしがきに次のように書いた。
H6 言葉のもつ意味 弘前市医師会報 p6 17
「ゼネコンはゼニコンだ」といえば「笑点」なみのお笑いだが、大新聞がいちようにゼネコン(大手総合建設会社)と括弧内に説明を入れていれば、総合はゼネラル、ではコンは多分コンストラクトのコンではないかと考えるのは自然だと思うが、
H6 重松逸造先生へ p7 29
お元気のことと思います 先生の「疫学研究50年抄」を戴きまして有難うございました
H6 「山口寿・小野淳信先生シルバ−賞・・」弘前市医師会報 p6 32
佐々木直亮です。まず自己紹介しなければならないのですが、
H6 福士襄先生のこと 退官記念誌 p6 33
昭和29年に弘前大学医学部衛生学教室(高橋英次教授)の助教授として私が着任したとき福士襄(しょう)先生はすでに教室で研修員として勉強しておられた。
H6 弔詞「福士襄」 p6 34
福士 襄(しよう)君 私が君のご霊前に弔詞を申しあげようとは 全く順序が逆だと思います
H6 弔詞「小野定男」 p6 35
小野定男先生 先生と同窓の後輩の一人として また先生に大変お世話になった者の一人として お別れの言葉を申し上げたいと思います
H6 「新衛会」のこと 日本医事新報 p6 27
「シンエイカイ」とはどんな団体なのか。 山中温泉のグランドホテルの玄関で「新衛会ご一同様ご到着」から話は始まった。
H6 生体情報としての血圧値 日公衛誌 p7 08
私が弘前に参りました時はテレビドラマの「いのち」の時代でありました。 昭和25年度年齢別主要死因別死亡率の表がガリ版で厚生省から発表になりましたが、
H6 衛生学教室のこと 弘前大学医学部五十年記念誌 p6 28
昭和20年6月19日当時青森市にあった青森医学専門学校において近藤正二先生によって初めて衛生学の講義が行われた。先生は東北大学医学部の衛生学の教授であったが、仙台から青森へ出張講義に来られた。
H6 叙勲に思う p6 43
それは全くの偶然の機会であったと今思うのだけれど、旅行でバスに乗って盛岡へ行く途中顔を覚えていた弘前大学の庶務にいる方に挨拶を交わしたとき話かけられたことから始まった。
H6 「向井千秋さん」を負かした女 弘前市医師会報 p6 18
「向井千秋さん」といえば、日本初の女性宇宙飛行士ということで知らない人がいないぐらい有名になったのだが、この頑張り屋の女(ひと)を負かしたことのある女医さんがわが弘前市医師会員の中にいることを紹介しようというのがこの文の内容である。
H6 「戦後民主主義」に思う 弘前市医師会報 p6 19
1994.10.13.ストックホルム発外電はすぐさまNHKの臨時ニュ−スとして流れ、翌朝新聞のトップ・ニュ−スとして各紙第一面を飾った。
衛生の旅 年代順 平成7年− 1995年−
平成 標題 掲載紙 Part-
H7 戦後50年 日本医事新報 p6 44
弘前大学医学部も青森医専から数えて50年を過ぎた。 青森で、初めて近藤正二先生が「衛生学」を講義されてから、50年が経った。
H7 夏もスパイク 冬もスパイク 日本医事新報 p7 13
ゴルフをやるのにスパイクシュ−ズを履くようになってから30年以上になるが、白球を追って静かなコ−スをきれいな空気をすって厚い絨毯のような芝生をふみ歩き回れるとは、きわめて健康なまた贅沢なことだと思うことがある。
H7 寿命と平均寿命 月刊健康 p7 14
近ごろ「寿命」とか「平均寿命」をテ―マにした文章にお目にかかることが多い。
H7 C君へ p6 442
お葉書ありがとうございました。 地震のお見舞いもせずにおりましたが、大したこともなくよかったですね。関東大震災が私の2歳のときでした。
H7 高桑栄松先生へ(1) p7 30
残暑お見舞い申しあげます 先日は 貴著「回想録 レ−ゾン・デ−トル」 頂戴し有難うございました
H7 高桑栄松先生へ(2) p7 31
叙勲への祝電ありがとうございました おくればせながら貴兄の叙勲おめでとうございます
H7 昭和18年9月の早慶卒業式 弘前市医師会報 p6 45
平成7年のキ−ワ−ドは多分「戦後50年」になるのではないかとの思いがあって、日本医事新報の「炉辺閑話」の随筆に「戦後五十年」という題で原稿を送ったのだが、年が明けてテレビ・新聞は特集番組・記事を放映・連載している。
H7 日循協30年前夜の人々 日循協誌 p7 05
よく結婚式などで「赤い糸によってむすばれた」という話が語られるわけですが,いま日循協のこと,また私の研究生活を振り返って考えましても, 「運命論」ではありませんが,すべて色々と,とくに人と人のつながりについて考えざるを得ません。
H8 先生 日本医事新報 p6 46
「せんせい せんせい それはせんせい」と森昌子が唱ったのは乙女の「淡い初恋」であったのだろうけれど、色々のことを教わり心から素直に「先生」と言える方々や奥様方が相次いでお亡くなりになり、心寂しく感ずる今日この頃である。
H8 「いい日旅立ち」へ 青森県医師会報 p6 48
「雪解け真近の北の空に向い」と谷村新司作詞・作曲の「いい日旅立ち」を山口百恵が唱うのを聞いた時良い歌だと思った。
H8 美原賞受賞挨拶 p7 09
本日は思いがけず美原賞の顕彰金を頂戴することになりまして 審査にあたられた先生方に厚くお礼申しあげます
H8 21世紀へのメッセ−ジ・疫学による予防へ 公衆衛生 p7 04
1995年は「戦後50年」がテ−マであった。 年があけて今年96年は何がテ−マになるだろうかと思いながら、日本医事新報の新春特集「炉辺閑話」に「先生」という題で「日本百年」の反省の意をこめて書いた。
H8 内閣「桜を見る会」 弘前市医師会報 p7 15
内閣総理大臣橋本龍太郎から「四月十日(水)午前九時半から正午まで、新宿御苑の染井吉野が見頃となりますので御夫婦おそろいにて御来観下さいますよう」との案内状が我が家に舞い込んだ。
H8 保健所に医師はいらないか p7 17
「保健所長は医師でなければならない」「医師資格ははずせないか」と論議されている。
H8 今「疫学」に思う ニュ−スレタ− p7 03
編集委員長の児玉和紀先生から「ニュ−スレタ−」への原稿依頼があった。
H8 疫学事始 社会医学研究 p7 01
杉田玄白が「蘭学事始」を書いたのは83歳の時でありますので、まだその年齢には達していませんが、それにあやかって、「疫学事始」という題をつけさせていただきました。
H8 「医療今昔物語」学説の変遷:高血圧 臨床科学 p7 08
私が「血圧」について学んだのは慶応義塾大学医学部での教育を受けた時であって,内科診断学で西川義方著「内科診療ノ実際」による血壓測定法を知り,衛生学(予防医学教室)で体位変化による血圧変動をみる「ポイント・テスト」という実習があったことが思い出されるが,今から50年以上前のこと(昭和18年9月卒業)である。
H8 津軽に学ぶ−りんごと健康 南黒医師会報 p7 11
「ささきなおすけ」と申します。 これから「津軽に学ぶ」という題で1時間ちょっとお話しすることになりましたが、このような機会を与えてくださった主催者の方々に感謝したいと思います。
H8 窓を開けば アイコンが見えるよ 弘前市医師会報 p7 20
「窓を開ければ 港が見えるよ メリケン波止場の 灯が見える・・・」と淡谷のり子さんが歌ったのは昭和12年だが、それから60年たった今日この頃は「窓(ウインドウズ95)を開ければ アイコンが見えるよ」である。
H8 窓を開けば 日本医事新報 p7 19
「窓を開ければ 港が見えるよメリケン波止場の 灯が見える・・・」と淡谷のり子さんが歌ったのは昭和十二年だが、それから六十年たった今日この頃は「窓(ウインドウズ95)を開ければ アイコンが見えるよ」である。
H9 食塩と高血圧−研究の歴史を振り返る 治療学別冊 p7 07
「血圧を測定するようになると高血圧が認識され、循環器疾患のうち欧米では心臓疾患と、日本では脳血管疾患との関連が考えられるようになった」
H9 言葉・文字そして意味 日本医事新報 p7 18
今青森で最大の話題といえば「三内丸山の遺跡」であると思う。
H9 佐藤雄治君 弘前市医師会報 p7 33
平成9年5月9日朝、新聞に「佐藤雄治儀(行年74歳)病気療養中のところ5月7日午後10時36分永眠いたしました」と出た。
H9 渋沢栄一 p7 34
今日平成9年6月11日新聞に「第一勧銀前副頭取ら4人逮捕」と大きく報道された。そして新聞のカラム欄には6月11日(明治6年、1873年)は「国立第一銀行」が誕生した日であることにふれ、そして「渋沢栄一」の名前が出ていた。
H9 丸山博先生のこと 公衆衛生 p7 32
本誌公衆衛生(Vol.60)に「21世紀へのメッセ−ジ」として「私の遺言書」を書かれた丸山博先生が本当に亡くなられてしまった。
H9 ケツアツ 日本医事新報 p7 10
昭和30年のはじめの頃、秋田県の人口約五千の農村、今は西目町になっている農村で、弘前大医学部の学生諸君と一緒に村の小学校の校長住宅などに寝泊まりして、中学生から老人までの全住民の血圧を測って歩いたことがあった。
H9 病は世につれ 世は病につれ あすなろ倶楽部 p7 12
東京生まれの私が弘前に住むようになったのは昭和二十九年のことであった。
H9 「軍医」「医師」のこと 弘前市医師会報 p7 22
久しぶりに衛星放送の映画で「戦場にかける橋」を見た。1958年作とあったから、かれこれ40年も前の作品である。
H9 クラ−クさんのこと 弘前市医師会報 p7 16
札幌で学会(第66回日本衛生学会:厚生年金会館)があったついでに、久しぶりに、北海道大学の構内を歩いてみた。
H9 疫学事始 日本医事新報 p7 02
「疫学事始」は丁度1年前の平成8年7月、弘前での第37回社会医学研究会総会のときの演題名である。
H9 コンピュ−タ−に捕まった 弘前市医師会報 p7 21
今回の話題は先の「窓を開ければ アイコンが見えるよ」(弘前市医師会報,247)の続編である。
H9 子供はいつから大人になるのか 弘前市医師会報 p7 23
1993年8月9日細川連立内閣が誕生した翌日10日に首相就任後の記者会見をテレビで見ていたら、「どうゆう戦争であったかの認識」を問われたときの細川護煕(もりひろ)首相の答えに「おやっと!」と思ったことが記憶にある。
H9 母のこと p7 35
母(かね:戸籍上では「か弥」となっている)は昭和59年6月5日午前3時94歳で亡くなった。明治22年7月22日渡辺家の5女として生まれている。
H9 父のこと p7 36
明治18年(1885年)5月17日東京に生まれた父(佐々木哲亮テツスケ)は昭和54年4月17日(1979年)死亡した。満93年11カ月の生涯であった。
H9 兄のこと p7 37
私の兄(佐々木正亮セイスケ)は大正3年10月1日、哲亮、かねの間の長男として台湾高雄で生まれている。そして今も清里で元気でいる。
H9 名誉・名誉・名誉 弘前市医師会報 p7 24
「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と言い残しても、後世かならずしもその意志は通らなかたようである。
H9 私の散歩道 弘前市医師会報 p7 25
青森県長寿社会振興財団というのがあって、「あすなろ倶楽部」という小冊子を三カ月に一回出している。その中で今「病は世につれ 世は病につれ」という健康随想を連載していて、来年まで書くことになっている。県下に数千部は配られているそうだが、ほとんどの方はご存知ないだろう。
H10私の夢 日本医事新報 p7 27
わが「空想のご先祖様」のミケランジェロ(http://www.cityfujisawa.ne.jp/~maestro)は、道ばたの大理石の中にビ−ナスをみたという。そしてそれを彫刻で具体化した。
H10ウヰスキイ−から失楽園 弘前市医師会報 p7 26
ウイスキ−をウヰスキイと書いていた時があった。今はどの広告をみてもウイスキ−である。「クラ−クさん」の名前も「ウヰリアム」であった。「ヰ」というカナは今日では殆ど用いられなくなった。
H10成人病から生活習慣病へ 弘前市医師会報 p7 28
もう年を越してしまったことだが、昨九年二月の産経新聞正論欄に「今年は生活習慣病元年」という記事が出ていた。